発心
例えば、善財童子がこの上ない悟りを求めようという心を起こして、よき師友を求めて菩薩の道を行じたいと願っていることを、文殊菩薩が知って、
「その発心が第一の蔵であり、一切の智慧がそこにある」と告げて、
「功徳の蔵をもつ少年は普賢の行をきわめるであろう」と
祝福されています。
この道に入ろうと思う心こそが、すべての教えが入っている蔵なのです。
「初発心時便成正覚」とは、『華厳経』に説かれている有名な言葉のひとつであります。
初心ほど尊いものはありません。
善財童子が四番目に訪れた善知識に、医師の弥伽という方がいます。
善財童子が、この上ない悟りを求める心を起こしたと聞いて、医師弥伽は童子を深く礼拝し、敬いを捧げるという場面があります。
そして、この上ない悟りを求める心を起こしたということが自体が、一切諸仏の系譜を保持することになるのだと説かれています。
真実なる道を求めて歩む者は、その道を歩もうという心の清らかな光で、菩薩の道を明るく照らしてゆくと書かれています。
道を求めようという心が、道へと導いてくれるのであります。
坂村真民先生に「初々しさ」という詩がございます。
坂村真民記念館で、真民先生が九十二歳でこの詩を書かれた書を拝見して、その迫力、そして初々しさに感動したことを覚えています。
初々しさ
初咲の花の初々しさ
この一番大切なものを失ってしまった
わが心の悲しさ
年々歳々花咲き
年々歳々嘆きを重ね
今年も初咲きの花に見入る
という詩であります。
初めて咲く花に諸仏の教えがすべてこもっています。
よし、坐禅しようと思う心に、すべての教えがこもっています。
よしやろうと思ったところにすでにすべてが具わっているのです。
横田南嶺