華厳経
僧堂の雲水達と、華厳経の入法界品を読んでいます。現代語訳を輪読しながら学んでいます。
入法界品は、善財童子が、五十三人の善知識を訪ねて旅をする物語であります。
二番目に、海雲比丘という方を訪ねます。
海雲比丘は、善財童子に
「良家の子よ。私は海門の地で満十二年、大海を見つめた。
大海は無量無辺である。深さは量り知れない。
この大海の底に私は思念を向けた。
海底は思念がとどくにつれてさらに深くなり、無量の宝玉で飾られているのが見えた。
この大海には、あらゆる河川の水が集まり、無量の海水をたたえている。
この大海の水はいろいろな色彩をもち、巨大な生き物もいる。
大きな雲に覆われて雨が降り、海中に水が充満しても、大海の水量は増減しない。そのことを私は見た。
私は思った。この大海より広く、深く、美しい海が他にあろうか、と」
と説き始めます。
これだけ読んでも、実に広大な世界が広がってきます。
この海のように広いのが仏の世界であります。
我々はその海の中に生かされています。
そして、その海底から蓮の茎が伸びて、海上に大きな蓮華が咲いたのです。
その茎は宝石でできていて、蓮の葉は黄金でできていて、花はすばらしい香りを放ち、宝玉で出来ていました。
その蓮華の上に如来がお坐りになっているのでした。
如来の身体は、天上界にまで達して、天空の神々に囲まれ、虚空は清らかな美しさに満たされたと説かれています。
万物は、清浄の源から幻のごとく、夢のごとく生じて十方の法界に遍満してい、世界はどこまでも光に満たされているというのです。
こんなすばらしい世界の中に私たちは生まれているのですから、はじめからもう仏さまの光に包まれているのです。
こういう華厳の教えが、すべてのものは皆仏であるという禅の教えにつながってゆきます。
そして入法界品では、お坊さんばかりでなく、いろんな職業の人たちにも道を尋ねて旅をしてゆくのです。
どんな人にも接しても、謙虚に学ぶという姿勢を身に着けておきたいのです。
僧堂の雲水達と、ともに旅をするつもりで読み進めてゆきます。
横田南嶺