納骨
建長寺と円覚寺とは多年にわたる習慣で、お互いの寺の管長が亡くなると、もう一方の本山の管長が葬儀の導師を務めるということになっています。
その慣例に従い、このたびも足立老師の葬儀を、建長寺の管長に導師をお願いして務める予定でありました。
ところが、ご承知の通りの状況になってしまい、大勢の各派管長、老大師方をお招きしての行事はとても出来なくなってしまい、円覚寺の内部のみにて、納骨の法要を行いました。
もとより、前管長は、葬儀をお望みではなく、私どもには常々自分の葬儀は無用、数人で荼毘にして、あとになってからご縁のある方に通知だけすればいいと仰せになっていたのでした。
そうはいっても、三十年にもわたり管長をお務めいただいたご功績のある老師ですので、本葬を行う予定をしていたのでした。
ところが、コロナ禍で期せずして、前管長の意の通りになったのでした。
足立老師は、「慈雲」と名乗られており、文字通り雲を呼ぶ方で、老師の関わる行事ごとに雨はつきものでした。
納骨の日も、実にその納骨が終わるまで、しとしと小雨が降っていました。
老師に相応しい日だと思いました。
内々で方丈において諷経して、僧堂の中にある歴代管長の塔所に納骨しました。
そこは代々の管長が納骨される塔なのです。
納骨して、ふと思ったのは、次にこの石塔を開けるのは、自分の納骨の時だと思うと、背筋が寒くなりました。
生前は、私どもが、老師によかれと思ってして差し上げたことも、老師は感謝どころか、いつも「いらぬことをしよって」と言わんばかりに不愉快になさっておられる方でありました。
しかし、その最後の納骨を、ほんの内々の者だけで行ったことは、老師もいささかご満足いただけたのではないかと、納骨のあとに晴れ渡った青空を仰いで思ったことでした。
横田南嶺