知らせよう
長年禅寺で実際に坐禅してこられた方にとっては、やはりオンライン坐禅会では、「寺の坐禅会と雰囲気が違い、同じ場所で同じ空気を吸っている一体感を持つことはできません」という感想を頂戴しました。
こればかりは致し方ありません。お寺という場で、皆と一緒に坐るということの素晴らしさには及ばないのであります。
しかし考えようによっては、そのお寺という場、皆で同じ場で坐ることの素晴らしさを再認識することのできる機会であるとも言えます。
また、オンライン坐禅会の参加者から、もっとこのような禅の教えを英語を用いて海外にも教えてあげたらという感想がでました。
私には、海外の方までという発想がないものですから、そうですねとくらいしか答えなかったのですが、
「海外での布教について……仏教的な世界観が東洋にしかないと思い、それを「教えてやろう」とするのは間違いです」
というご指摘をいただきました。
「西洋にも、仏教的な生き方を実践している人はいます」と仰ってくださって、まさにその通りであります。
今や東洋に生まれ育っても、東洋的な見方から遠い人も多いでしょう。
そこで、「海外の人に接するときには、「教えてあげよう」ではなく、「気付かせてあげよう」という態度で接するべきだと思います」というご指摘でありました。
これもまさにその通りでありまして、坂村真民先生の詩を思い起こしました。
「知らせよう」という題の詩であります。
せかせか通り過ぎてゆく人に
知らせよう
一輪の花があなたを呼んでいることを
ただ体のためだけにジョギングしている人に
知らせよう
念仏となえて走ったら
心のためにもいいことを
魚を釣っている人に
知らせよう
時には餌をつけずに糸を垂れて
風の音や波の音をほれぼれと聞くことを
働き疲れてぐっすり眠っている人に
知らせよう
月が光り星が輝き
あなたとあなたの家族とを
温かく守っていることを
病に苦しみ眠られずにいる人に
知らせよう
すべてを任せきることによって
不思議な力が生まれ
闇が光となることを
迫りくる恐怖におびえている人に
知らせよう
仏の説かれた輪廻の教えを
死は新しい生につながっていることを
こんな気持ちで生きてゆきたいものであります。
横田南嶺