つながりあう世界
なにが咲いているのかと思ってみると、崖からヤマユリが咲いていました。
自然は変わることなく巡っています。
日曜日は、オンライン坐禅会を行いました。
細川さんとの対談がご縁で、臨済宗青年僧の会のオンライン坐禅会を担当させてもらいました。
坐禅の前に、講談社現代新書『鈴木大拙の言葉と思想』にある話を紹介しました。
これは、スイスのある老教授が日本に鈴木大拙先生を訪ねたときの話です。
その老博士は、大拙を訪ねる意図を、次のように語りました。
スイスからアフリカに行くのに二つの道がある。一つは近代科学の成果である飛行機で行く方法である。もう一つは渡り鳥だというのです。
渡り鳥は、なんの機械も持たずに、毎年変わることなく飛んできます。
飛行機の方法は、ギリシャ以来の科学の道であり、渡り鳥の方法は、キリスト教神秘主義の道である。
禅は後者に通じるものであり、人類共通の英知として期待しているというのです。
そこで、この本の著者で、大拙先生の高弟でもあり、後に禅僧になられた秋月龍珉師は、それは違うと説いているのです。
「ますます完全なる飛行機をつくり出す科学的行の真っただなかにこそ禅がなければならない」というのです。
そうでないと、禅は単なる過去の文化財でしかないと説かれています。
渡り鳥の智慧は素晴らしいものです。
私たちの僧堂の生活などは、渡り鳥に近い自然の暮らしをしています。
しかし、それだけが禅であるとすれば現代社会には無縁のものとなってしまいます。
時には、現代の文明を離れて暮らしてみることはいいでしょうが、ずっと継続するわけにはゆきません。
電気も機械も使わざるを得ないこの社会に私たちは生きるのです。その生きる道が禅であります。
ですから、オンラインを使う人間の道として禅があるとお話しました。
しかし、大拙先生は、そのふたつの立場を取らないと主張されました。
大拙先生は、
「飛行機を使わず、渡り鳥のようにでもなくここにこうして坐っておって寸歩を移さずして世界中を飛んでおる」
と仰せになっています。
華厳の世界で申しますと、私たちあらゆるものはみなつながりあっているのです。
孤立しているものは何ひとつないのです。
オンライン坐禅会はネットのおかげでつながりあっていますが、この電気が消えてネットがなくても本当はつながりあっているのです。
そのことを確かめる為に、こうしてオンライン坐禅会を行うのだということをお話しました。
Zoomというものを使いましたので、いろんな熱心な質問にも答えさせていただいて、充実した九十分でありました。
細川さんはじめ、臨済宗青年僧の会の皆さまに感謝します。
そしてオンライン坐禅会にご参加くださった皆さまにも感謝します。
横田南嶺