知っていてくれる
塩沼亮潤大阿闍梨との対談本が出版されます。昨年の夏期講座にお越しくださったのがご縁で、対談本となりました。
講師控え室でお話していて、お互いに心が通じ合い、是非とも対談して本を出そうということになったのでした。
あれからちょうど一年が経ちます。
お忙しい大阿闍梨ですので、お互いに日程を調整し合い、ようやくこのたびの上梓となりました。
なにせ大阿闍梨は、大峰千日回峰行を満行された稀有なお方であります。
私たちのような者には、計り知れない難行をなされた方ですので、その貴重な体験から出てくるたくさんの珠玉のような言葉をうかがうことができました。
その中で、印象に残っている話があります。
「大峯千日回峰行」というのは、奈良の吉野山にある金峯山寺の蔵王堂から24㎞先にある山上ヶ岳頂上にある大峯山寺本堂まで、標高差1355mある山道を往復48㎞、1000日間歩き続けるという修行なのです。
毎年5月3日から9月3日まで年間4ヵ月を行の期間と定めるので、9年の歳月がかかります。
塩沼大阿闍梨は、1991年5月3日より述べ4万8000キロを歩き、1999年9月3日に大峯千日回峰行を成満されたのです。
私などでしたら、一日たりとも出来るものではありません。
しかも始めたらやめることができないというのです。
どんな雨であろうと、台風であろうと、雷が落ちようと、暴風雨であろうと歩くのです。想像を絶します。
毎日そんな思いをしていて、山頂の宿坊で、ご飯を用意してくれるおじさんが言われたそうです。
「麓にいる人に千遍言っても、万遍いっても、この怖さはわからないだろう」と。
こういう同じことを分かってくれる人がいるということが、心の支えになったという話でした。
誰か、自分のこの苦労を知ってくれる人がいる、そう知るだけで、
人間は「一人じゃないんだ、よし、頑張ろう」という気持ちになるのです。
知ってくれるということは大きな力になります。
そして祈っていてくれるということになると、なお一層大きな力になるでしょう。
知ってくれたからといって、何も苦労が減るわけではありません。しかし大きな力になるのです。
私たちも、困っている人、苦労している人に対して、何もしてあげられないと無力感におそわれることもありましょうが、知ってあげる、祈ってあげるだけでも、大きな力になるのだと思うのであります。
身近な人に知ってくれている人はどこかにいるはずです。
よしんば、誰もいないとしても、仏様が知っていてくれる、見守っていてくれると思うと、「よし、もう少し頑張ってみよう」という気になるものです。
知ることは、慈悲なのです。
横田南嶺