喫茶去
「喫茶去」という、このよく知られた禅語をどう説明しますかというのです。
これは、私は率直に
「これはよく分かりません、私は今まで、この「喫茶去」について解説をしたことも、文章にしたこともないのです」と答えました。
よく知られているのですが、難しいのです。
まず意味がよく分からないのです。
喫茶去は、松原泰道先生の『一期一会』の本のなかにも出てきています。
松原先生は、喫茶去の意味を「お茶を召しあがれ」である。「去は喫茶の語句を強める助詞で意味はない」と説明してくださっています。
私なども、そのように教わったものです。
しかし、近年の研究によって、それは「且坐喫茶」の意味であって、「喫茶去」は違うと言われるようになってきました。
入矢義高先生の『禅語事典』には、
「「茶を飲んでこい」または「茶を飲みにゆけ」という意であって、あちらの茶堂(茶寮〉ヘ行って茶を飲んでから出直してこい、という叱責なのである。
「まあ、お茶をお上がり」というのは、「且坐喫茶」(且く坐して茶を喫せよ〉と混同した誤解であるが、しかし日本では古くからこの誤解が伝統的に受け継がれてきた。
本来なら「喫茶去」と言われたとたん、ギョッとなって忽々に退散せねばならぬはずである。
誤解がそのまま無反省に正統として踏襲されるというのは、敢えて言えば、日本禅に特有の独善的な体質の一つの現われでもあろうか」
と厳しくご指摘であります。
原典は、『趙州録』です。
小川隆先生の『中国禅宗史』から、原文の訳を引用させていただきます。
新しくやってきた二人の行脚僧に、趙州禅師が問われた。
「貴公、前にもここへ来たことがあるか?」
「いいえ、ございません」
「うむ、下がってお茶を飲みなさい」
もう一人にも、問うた、
「前にもここへ来たことがあるか?」
「はい、ございます」
「うむ、下がってお茶を飲みなさい」
院主(寺の寺務局長)が趙州禅師にたずねた。
「初めての者に茶を飲みに行けと仰せられるのはよいとして、前にも来たことのある者にも、なぜ、茶を飲みに行けと仰せられるのですか?」
すると、
趙州 「院主どの!」
院主 「ハイ!」
趙州 「うむ、茶を飲みに行きなさい」
というのです。分かりやすい訳で助かります。
小川先生は、この「院主どの」と呼んで、「ハイ!」と答えたところに注目されます。
「活き身の現実態の自然な作用・営為、そこに「即心即仏」という事実が活き活きと働き出ていることに気づく」ことが大切だとご指摘くださっています。
そこで、この二人の僧が趙州を訪ねたのが、初回であるか、二度目であるか、というのが問題ではなく、小川先生は
「要は本人が、自己の自己たるゆえん、己れが己れであるという活きた事実、それをしかと我が身に自覚しているか否か、ただその一事だけである」
と指摘されています。
そこで、この「喫茶去」を
「まあ、よい、下がって茶をよばれ、僧堂に入って、また一から修行するがよい、前に来たことがあろうかなかろうか、その一事に気づいておらねば、修行は常に今この場が第一歩だ」
と明快に解説してくださっています。
これ以上はないという説明であります。
では私が、なぜ解説できないかというと、どうも今までこの趙州和尚の語録を繰り返し読んで来て、とても自分などの器では、計り知れない禅僧だと思われるからです。
趙州録を読んでいると、とても私如き者の及ぶところではないと痛感させられています。
この時、この場面で、趙州和尚が、どういうお気持ちで「喫茶去」と言われたのが、推し量りがたいのです。
何せ趙州和尚は、かの南泉和尚のもとで四十年も修行して、さらに二十年諸方を行脚して、禅僧たちと問答を繰り返し、寺に住したのが八十歳でした。それから四十年説法をなされたのです。
私などの修行とは比べものにならないのです。
たかだか五十半ばの私など、趙州和尚からみれば小僧です。趙州和尚であったら、まだ諸方を行脚して修行していたのです。
いくら説明しようとしても、趙州和尚の心境には及ばない、次元が違うと思われます。
私は禅語を解説するときは、必ず自分が感動したり伝えたい思いが先にあって、それに禅語を当てはめるのです。
ですから、すべて自分自身の分かったこと、経験した範囲のことを禅語で伝えているのにすぎません。
それで「喫茶去」という趙州和尚の言葉を説いたことはないのです。
ひょっとしたら、八十歳を超えた頃に少し分かるかなと思ったりしますが、今の私の現状を認めると、ほぼ無理のように思われるのです。
これもまた、説けないという話が長くなってしまいました。
横田南嶺