三対一
先日十四日の日曜日には、まずブルーインパルスについて書かれていました。
五月二十九日に、都内の病院の上をブルーインパルスが飛行してくれたのだそうです。
海原先生も、「それは美しい飛行だった。パイロットに見えるはずなどないのに、思わず手を振っていた。快晴の空に描かれた飛行の軌跡を目で追いながら、心の中に感謝の思いがわきあがるのを感じた」と書かれています。
そして海原先生は
「飛行に込められた「言葉」がはっきりと伝わってきたからだ」
と書かれています。
更に海原先生は、
「「言葉」を使わなくても「言葉」を感じさせる行動がある」
と指摘されます。
「その行いにこめられた「励まし」、「感謝」、「思いやり」を感じる時、時間は短くても私たちの心の中に温かい思いが生まれ、つらくても前をむいていこうかという気持ちになる」
と仰せになっています。
このことなど、私も大いに共感するところであります。
しかし、そのあとに書かれたことに少し驚きました。
「しかし、一方、悲惨な現実の中に生まれるこうした一瞬の温かさや幸せな気分を否定する人もいる」というのです。
どういうことかというと、「ほんの一瞬気分がよくなっても、長続きせず、すぐまた現実に直面してゆううつになるのだから、そんなことは無意味だ」というのです。
そんなことはないと、私も文章を読みながら思っていると、海原先生も、
「こうして意見には、はっきりノーとお答えしたい」と書かれています。
「一瞬の幸せな気分は大事で意味があるのだ」というのです。
そこで、最近のポジティブ心理学の理論を紹介してくださっています。
それが「三対一」の理論だそうです。
うつでネガティブな気分が一あっても、ポジティブな気分が三の割合であればよいというのらしいのです。
そこで海原先生は「日常の中で、うつな気分がおこった時、その割合の三倍、ポジティブ感情をキープするのを目指すと心が健康的になる」と仰せになっているのです。
私は、読んでいて「三対一」が逆だと思っていました。
ネガティブなことが三あっても、一つポジティブなことがあればいいと思っていました。
これは長年修行の世界に身をおいていた為か、その三対一でも多いくらいで、ネガティブが九でも、一つだけポジティブがあれば生きてゆけると思っているのです。
辛い嫌だと思う気持ちが、山のようにあっても、たったひとつの喜びがあれば、それだけで報われると、そんな思いで今日まで来たように思います。
修行時代もそうですし、今も思うに任せぬことは山のようで、ほんのひとつでも誰かに感謝されるという喜びがあれば、それで十分なのであります。
それでもどうにかこうして生きているのであります。
横田南嶺