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臨済宗大本山 円覚寺

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2020.06.14
今日の言葉

一葉舟

このところ、天候不順な日が続いていました。風の強い日もございました。

そんな風が強く吹いた日の翌る朝、廊下に一枚の落ち葉がありました。

どこかにひかかっていたのが、風に舞って落ちたのだと思います。

さっと片づけようと思ったのですが、その廊下に落ちた枯れ葉のたたずまいが、なんともいえぬ趣があって、しばし見つめていました。

静謐という言葉が思い浮かびました。

「一葉落ちて知る、天下の秋」

という言葉がありますが、これは秋の句で、今の時期にはあいません。

見つめていて、ふと芦葉の達磨という画を思い浮かべました。

達磨大師が、梁の国から魏の国に行くのに、芦葉に乗って川を渡ってゆかれたという話が画になっているのです。

芦葉は、もっと細いものだと思いますが、こんな葉の舟に乗って川を越えられたのかなとなど思い巡らしていました。

「一葉舟中、大唐を載す」

という禅語も思い浮かびました。

一枚の葉の舟に、中国を全部乗っけるというのです。一即一切を示しているのです。

そうしますと、更に、そうだ『一葉舟』という本があったと思い起こして、書架からとり出して読み返していました。

数学者の岡潔先生の著書であります。

角川ソフィア文庫『一葉舟』、解説は若松英輔先生です。ここにもご縁を思います。

本の帯には、若松先生の解説の言葉から、

「 「情緒」は見えなくとも、いつも働きとして生活の中にある」

と記されています。

「一葉舟」という言葉は、土井晩翠の詩から借りたと岡先生は書かれています。

土井晚翠の詩には二カ所あるそうです。

そのうちのひとつ、

閑雲野鶴空闊く
風は嘯く身はひとつ
月を湖上に砕きては

ゆくへ波間の舟一葉
ゆふべ暮鐘に誘はれて
訪ふは山寺の松の風

というものです。

解説にも若松先生が、書かれていますが、この本の冒頭には驚くべき一文があります。

「私は十五年前までは自然の中に心があると思ってきた。今は心の中に自然があると思っている」

というのです。

そして「心の本体は決して生滅しない」と書かれています。

この言葉だけみても、岡先生は仏教に造詣が深いことがうかがわれます。

ではその心はどんなものか、岡先生は次のように書かれています。

「真の自分の心」と題して

「人は普通自分のからだ、自分の感情、自分の意欲を自分と思っている。これを仏教では小我という。ごく小さな自分という意味である」

というのです。これが自我というものです。般若心経でいう五蘊、五つの構成要素を自分だと思い込んでいるのです。

更に「欧米人は自分とは小我のことだとしか思えない。それで個人といえば小我の意味である」

と指摘されています。

「ところが仏教は、小我は迷いであって真我が自分だと教えている。真我とは本当の自分である」

と説かれています。

「仏道の修行法にはいろいろあるが、すべて小我の迷いを離れて、真我を自分と悟るためにするのである」

と実に端的に説いて下さっていて、まさしく禅の修行も小我を離れて、真の自己に目覚めることにほかなりません。

そして、ではその真の自己の心とはどんなものかといえば、

「真我の心は同体大悲である。これはひとの心の悲しみを自分の心の痛みのごとく感じる心という意味である」

というのであります。

真の自分の心とは、自分と他人と同体になってそこから自ずとあふれ出てくる、大悲の心だというのです。

他の箇所では、岡先生は、「私たち人は、無差別智の中の操り人形のようなものである」という風にも仰せになっています。

というように『一葉舟』は実に深い内容の本であります。

写真の一葉は、風に舞って廊下に落ちたそのままの様子で、全く手を加えていません。

じっと見つめていると、廊下が川の流れのようで、一葉の舟が浮かんでいるように見えてきます。

一葉から、達磨大師に思いを馳せ、岡潔先生の『一葉舟」を繙き、真の自己とは、人の心の悲しみを自分の心の痛みの如く感じる心だという素晴らしい言葉に出会えて、実にしあわせな朝の一時でありました。

 
横田南嶺

一葉舟

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