一期一会 - 其の三
辞世ともいうべき短い言葉が、懐紙に認められていたといいます。
人間は
一会一期
なにごとも丁重にしておかねばならぬ
死ぬるかも知れぬが もう遅い
任運自在
さて、一般には一期一会と言い慣わしているところを、「一会一期」と書かれたのはどういうことでしょうか。
松原先生は「臨終の苦しさからの記憶の誤りではないかと思う」と推測されています。
実際のところは、お亡くなりになった老師におうかがいするしかないところですが、私は、敢えて「一会一期」と記されたのも、独自の深い味わいがあるようにも感じるのです。
敢えて「一会」を先にもってきて、この時の出逢いを強調されて、今この出逢いこそが、私の「一期」一生のすべてであるという、厳しい決意が感じられるように思います。
一生に一度の出逢いというより、今この出逢いが、私の一生すべてであると受けとめたならば、より一層、この時の出逢いの重さが増します。
私の一生が、この出逢いにすべてこめられているのだと思うと、なおのこと老師の言葉「なにごとも丁重にしておかねばならぬ」の一語が身に染みてきます。
「一期一会」の語は、井伊直弼の著書『茶湯一会集』に見える言葉であります。
そのなかに、
「そもそも茶の交会は、一期一会といいて、たとえば、幾たびもおなじ主客と交会するも、今日の会に再びかえらざることを思えば、
実にわれ一世一度の会なり」と書かれているとのことです。
この言葉を受けて、松原先生は、「茶の湯の心得は、一期一会に帰着する」と井伊直弼の思いを述べられています。
井伊直弼は、ご存じの通り、安政の大獄を起こし、そのために万延元年(一八六〇)三月三日、江戸桜田門外で水戸や薩摩藩の浪人たちの襲撃を受けて殺害されました。四十六歳でした。
その日の朝も、いつものように登城しようとされたのでしょうけれども、まさかということが起こったのでした。
また江戸期の禅僧である正受老人には「一日暮らし」という法語が残されています。
今日一日をよく暮らそうと思うことの大切さが説かれています。
どんな辛いこと、苦しいことがあっても、今日一日と思えば耐えることができるし、
楽しいことがあっても今日一日と思えば、それに溺れることもないというのです。
そして「一大事と申すは今日只今の心なり」と示されています。
今日という一日が、一生のすべてであると思うことでしょう。
そうなりますと、この出逢いが一生のすべてであるという「一会一期」にも通じるかと思います。
正受老人は、そのような思いで一日一日正念相続をされていたのです。
そんな日々の真剣な工夫があればこそ、「一日暮らし」という平易な教えを説いてくださったのです。
井伊直弼のこと、正受老人の言葉などを思い起こしてみると、なお一層「一期一会」という言葉のもつ厳しさが身に染みてきます。
やはりなおのこと、怠惰な日々を送る私には、説きがたい言葉であると思うのです。
「一期一会」は説けないといいながら、説けないということがこうして三話にもなってしまいました。
説けない話をお読みいただいて感謝します。
横田南嶺