一期一会 - 其の二
細川さんの祖父にあたる松原泰道先生の著書である『一期一会 禅のこころに学ぶ』という本です。
この本に対する思いは深いものがあります。
発行されたのが、昭和五十五年三月で、私が初めて松原先生のお目にかかったその年、その月なのであります。
振り返ると、もう四十年も前のことになります。
初めて三田の龍源寺を訪ねて松原先生にお目にかかり、発行間もないこの本に署名をしていただいたのでした。
それから平成二十一年に『今を生きる』という本に署名していただいたのが、最後となりました。
およそ三十年近くお世話になりご指導をいただいたのでした。
もう今は手に入らないであろう『一期一会』は、読み返してみても、素晴らしい本だと思います。
まず、その始まりが素晴らしいのです。
終戦の翌る年の秋に、松原先生は山陰地方を布教にまわられていました。山陰本線のとある駅で降りて、バスの時間を待つ間に駅前の食堂にお入りになりました。
まだ戦後間もない頃ですので、決して豊かとは言えない頃のことです。
戦前のものと思われる紙袋入りの割り箸をとり出してみると、箸袋から小さなようじが紙に包まれて出てきました。
その小さな紙を広げてみると、小唄が書かれていました。
逢うてわかれて
わかれて逢うて
泣くも笑うも
あとやさき
末は野の風
秋の風
一期一会の
わかれかな
松原先生は、
「いまもこの小唄を口ずさむと終戦当時のあのわびしい食堂の熱いみそ汁の香りが、わたしの鼻のあたりを漂う。そして、吹く風のまにまに秋草の穂さきがゆれあい、別れと出あいを繰り返す野の情景が目に浮かぶ」
と記されています。
いかにも昭和の風景が思い浮かぶ名文であります。
そして、更に松原先生はそのあと、山口にある常栄寺を訪ねようとされました。
常栄寺は今も専門道場であり、その当時は臼井荊道老師が師家でいらっしゃいました。臼井老師は松原先生とは旧知の間柄であったようです。
ところが、お目にかかる予定の二日前の新聞に、「臼井荊道老師急死」の悲報が載ったのでした。
お亡くなりなった老師は辞世ともいうべき言葉を懐紙に認めておられたそうです。
その言葉が
人間は
一会一期
なにごとも丁重にしておかねばならぬ
死ぬるかも知れぬがもう遅い
任運自在
というものでした。
一期一会を、「一会一期」と書かれたのは、松原先生は「臨終の苦しさからの記憶の誤りではないかと思う」と書かれています。
更に「「今」との出あいは、自分の一生の中でただの一度しかないのだ - との「今」を大切に見つめよ、との声であろう」と書かれています。
そして、「今を大切にするなら、今を生きるも、今に死ぬるも、すべて任運(運命の自然に任せる)自在だ。大いなるいのちにお任せして悔いるところもない(実は容易ではないが)」
と教えてくださっています。
思えば、そのとき本の扉に書いて下さった言葉も
「今を大切に」の一言でした。
お亡くなりになる年にいただいた本の題名が『今を生きる』であったことも感慨深いものであります。
松原先生にご縁をいただいて 四十年本当に今を大切にしてきたであろうかと思うと反省するばかりです。
ぼやっとしていた「今」のいかに多いことか……
そのときの出逢いをおろそかにしていないだろうか、今を大切に生きているであろうか、昭和の時代を思い起こさせてくれる四十年前の本を繙きながら、わが身を省みるのでありました。
そんな事を思えば思うほど、ますます「一期一会」を人に説くことはできないなと思うのでした。
横田南嶺