コロナの春に
まずは、毎日新聞の朝刊の川柳から
孫二十才コロナの春に看護師へ
という一句が目にとまりました。
語呂がよく、リズムもよろしく、若い看護師への期待、こんな時期に大変だろうが頑張って欲しいという思いが伝わってきます。
まだ馴れない職場ながら、懸命に頑張っている二十歳の姿が目に浮かぶようでもあります。
それから読売新聞の時事川柳から
まだ来ないお金もマスクも孫たちも
こちらも、リズムよろしく、なんとなく微笑ましい一句であります。
同じく読売新聞のコラム『四季』には
一片の肉塊として朝寝かな
という村松二本さんの俳句を長谷川櫂先生が紹介してくださっていました。
長谷川先生は、「昼寝は夏の楽しみ、朝寝は春の贅沢。覚めるとも眠るともなくただ布団に埋もれて、たらたらと春を貪るのである」と解説されています。
私は、自分自身を「一片の肉塊」と表現しているところに注目しました。
自分を肉塊とみる眼があるのです。
その眼は単なる肉塊ではありません。肉塊を超えた眼があるというところが素晴らしいと感じました。
臨済禅師は、この肉塊に、何の位にも属さない無位の真人がいるぞと説いてくださったのでした。
それから、神奈川新聞には、「新型コロナと文明」という論説特集で京都大学総長の山際寿一先生が執筆くださっています。
「人間の共同体では日常的に顔を合わせ、冠婚葬祭などの集いを通じて触れ合い、地域文化を身体化させることが重要になる。 その営みは科学技術を発達させた現在でも基本的に変わっていない。 自宅にいる時間が長くなって、改めてそれを実感した人々も多いのではないだろうか」とご指摘。
ところが
「でも、それは今禁止されている3密(密集、密閉、密接)になりかねず、ウイルスにとっては好条件となってしまう。接触をできるだけ避けた今、世界は総引きこもり状態になった。これが続けば、人間にとって「共に生きる喜びや力」を奪われ、個人がばらばらになってしまう」
と懸念されています。
では、どうしたらよいか、
「人間の共感社会は身体の共鳴によってつくられる。それを促進するような、たとえば心を癒やす効果のある音楽を共有する。 オンラインで人々のつながりを保ち、声や写真や映像を用いて情報を交換して身体の共鳴を図る」ということも有効であると仰っています。
そうして「それは信頼という原資を直接触れ合うことでつくってきた社会から、距離を保ってゆるやかに共鳴する社会へと移っていくことを意味する」と言われています。
そんな社会へと適応してゆかねばならないのでしょう。
宗教界も、オンラインに熱心に対応しているようです。
『中外日報』という宗教界の新聞に目を通すと、
比叡山では「不滅の法灯、初のライブ配信」、
日蓮宗では「オンラインで唱題行」、
大本教では「信徒らネットで遙拝」、
臨済宗では私も懇意にしている東光禅寺の小澤大吾師がZoomを使った坐禅会を行っていることの紹介など、オンラインの話題が豊富であります。
どの社会においても、今のこの問題にどう対応していくべきか苦心していることがうかがえます。
私もまた、のんびりと昼寝を楽しんでいる場合ではないと身を引き締めました。
横田南嶺