猫に呼ばれる
この猫はそもそも、私のいる正伝庵の裏で産まれました。産まれた時には、ほとんど死にかけていました。
それを、当時の修行僧が、一生懸命に介抱し、病院にも連れていって診てもらい、しばらく僧堂で療養していたのでした。
助かるかどうかと思っていたところ、介抱の結果、元気になって、総門のところで暮らすようになりました。
幸い寺の職員さんたちにもかわいがられ、ますます元気になりました。
そのうちに、拝観の方々からも人気になって、よくカメラで撮影されたりもしていました。
だんだんと人にも馴れて、拝観の方からカメラを向けられると、ポーズでもとっているかのようにさえ見えたものでした。
少し人気が出てきますと、私が門を通っても、素知らぬ振りをするようになりました。
以前世話になった恩など、どこ吹く風という感じです。
そんなところがまた猫の魅力なのでしょう。
拝観客からカメラを向けられると、得意になっているのに、たまにこちらがカメラを向けようとすると、わざと知らんふりしてどこかに行ってしまうのでした。
本日の午後、久しぶりに門を出て郵便ポストまで出ていって、その帰りに、私に向かって、「ニャーニャー」と呼ぶ声が聞こえてくるではありませんか。
なにごとかと思うと、猫であります。
そうだ、このところ拝観客がいなくなって、誰もかまってくれなくなったので、猫も退屈していたのでしょう。
猫は新型コロナウイルスのことは知らないのでしょうか。
普段なら相手にされない私に声をかけてくれて、写真撮影にも応じてくれました。
猫に呼び止められてしばし会話しながら写真を撮っていました。
呼び止められる私も、私を呼び止める猫も、ともに暇なのでした。
穏やかな午後のひとときでありました。
横田南嶺