どの子にも
毎日新聞夕刊のコラム《こころの歳時記》に
「どの子にも空ありて吹く石鹸玉(しゃぼんだま)」
という句が載っていました。綾部仁喜という方の句だそうです。
石寒太先生の解説記事によれば、「石鹸玉」「風船」「ぶらんこ」など子供たちの遊びはみな春の季語だそうです。
どの子にも、あまねく希望の空が広がっていると解説されていました。
こんな句を読んだだけでも、部屋にいながら広い野原や、透き通った青空、その下で遊んでいる子供たちの姿が思い浮かびます。
こちらまで、晴れ晴れとした気持ちになれるものであります。
千日回峰行者には「運心回峰行」という行があって、部屋で坐っていながら、心の中で回峰行で歩いた道を同じ時間かけて心だけで歩く修行があると聞いたことがあります。
そんな行にはとても及ぶことはできませんが、心の中だけでも、過去に見た遠い空を思い浮かべることはできるものです。
「どの子にも……」という言葉で、思い出したのが、
飯田龍太先生の
「どの子にも涼しく風の吹く日かな」
の一句であります。
飯田龍太先生の句集を繙くと、『忘音』にある句でした。
角川ソフィア文庫『飯田龍太全句集』の井上康明先生の解説には、
「子供たちが校庭のようなところで遊んでいる。そこへ涼しい風が吹いて来て、そこにいる子供たちに吹き渡る。
子供は、立っている子もいれば、坐っている子もいる、そのすべての子に風は涼しく吹き渡る。」
と記されています。
この句は夏の句ですが、読むだけで爽やかな気持ちになることができます。
しかしながら、少し調べてみると、飯田龍太先生は、幼少のころからご病弱で、二十代のころには肺の病気で手術をなされています。
ご自身は戦争に出征することを免れましたが、長兄と三兄は戦死、次兄も病死しておられるのです。
更には、三十六歳の時に、六歳の次女を病で亡くされているのでした。
句集「童眸」には、
「滅後の色―九月十日急性小児麻痺のため病臥一夜にして六歳になる次女純子を失ふ」
と題して、いくつかの句を残されています。
花かげに秋夜目覚める子の遺影
という句がありました。
そんな辛く悲しい体験を経ての「どの子にも涼しく風の吹く日かな」という句だと思うと一層あじわいが深まります。
目の前で元気いっぱいに遊んでいる子供たちに、亡き娘の姿を思い浮かべられたのか、
亡き娘のことを思うと、なおさら目の前の子供たちにはしあわせであって欲しいと願われたのか、様々な思いがめぐらされます。
部屋にいながらも新聞で見つけた俳句ひとつから、
いろんな世界が広がり、あたかも小旅行でもしたかの気持ちになれたのでした。
そして、どの子も広い空の下でのびのび遊べる日が来ることを願っています。
横田南嶺