アマビエ
「アマビエ」のことを知ったのは、三月のことでした。
それが、二十日の毎日新聞の「余録」にも載っていました。
「余録」は、
「「アマビエ」という名の妖怪が出没している」
という一文から始まっています。
「コロナ禍」と足並みをそろえるようにその頻度は増え、この妖怪をかたどったグッズや和菓子も登場したと書かれています。
「アマビエ」とは、「余録」によれば、
「妖怪というより人魚やカッパのような「幻獣」の一種。中でも予言を残す予言獣に分離されるという。
アマビエの場合は豊作・凶作と疫病。
江戸の人々は、疫病が流行するたび、この絵を門口に張った」
と説明されています。
そんな「アマビエ」が、この令和の時代に注目されているというのです。
江戸時代よりは、科学も医学も格段に進歩したのでしょうが、目に見えぬ病に対する恐れや不安は、変わらないということでありましょう。
折から、 これをかけていれば、ウイルスに感染しないという 首からぶら下げるものを頂戴しました。
首にかけるお守りのようなものです。
まさか、そんな訳もないと思いますものの、そのように心配してくださる方のお心が有り難くて、大事にとっておいています。
いや、おいていては駄目で、首にぶら下げなければならないのでしょうが、ついつい忘れてしまっています。
それをいただいたときにも「アマビエ」を思ったものです。
白隠禅師は、江戸時代に活躍された禅僧ですが、
「家に白沢の図無ければ、是の如き妖怪有り」
いう禅語を用いられています。
白沢とは、もとは中国の伝説の黄帝が巡狩をして得たという神獣で、よくものを言うことができたそうです。
諸説ありますが、牛のようなからだで人間の顔をして、頷にはひげを蓄えて体に六つの目、額に二本胴体に四本の角があるという姿で描かれます。
これを図に書いて魔除けにしたというのです。
「家に白沢の図無し」とは、『虚堂録』に見えます。禅の語録で、白沢の図とは、本来の心を表します。
銘々自己本来の心が明らかになっていないと、風評や病魔などにつけ入らえてしまうという意味で用いています。
本来の心は慈悲心です。慈悲心を見失うと、妖怪変化の如きものに心振り回されることになります。
観音さまを念じることによって、本来の慈悲の心が目覚めます。
「アマビエ」よりは、観音さまの方がと思いますが……
横田南嶺