よき習慣を守る
「今日もまたコロナコロナで日が暮れる」
という新聞の川柳がありました。
こんな川柳になるほど、コロナウイルスの報道が続くのであります。
そんななかで、五木寛之先生の『大河の一滴』を読み返していると、C・W・ニコルさんの話が出てきました。
ニコルさんには、円覚寺で講演をしていただいたこともあります。先日四月三日七十九歳でお亡くなりになりました。
五木先生がニコルさんから聞いた話です。
ニコルさんが「南極かどこかへ探検に行ったときの話」だそうです。
「南極などの極地では、長いあいだテントを張って、くる日もくる日も風と雪と氷のなかで、じっと我慢して待たなければいけないときがある。
そういうときに、どういうタイプの連中がいちばん辛抱づよく、最後まで自分を失わずに耐え抜けたか。」
と聞かれたそうです。
ニコルさんは、
「それは必ずしも頑健な体をもった、いわゆる男らしい男といわれるタイプの人」
ではないと言われたと書かれています。
では、どんなタイプの人かというと、ニコルさんによれば、
「南極でテント生活をしていると、どうしても人間は無精になるし、そういうところでは体裁をかまう必要がないから、
身だしなみなどということはほとんど考えなくてもいい」
ようになってしまいます。
ところが、そんななかであっても、
「なかには、きちんと朝起きると顔を洗ってひげを剃り、一応、服装をととのえて髪もなでつけ、
顔をあわせると「おはよう」とあいさつし、物を食べるときには「いただきます」と言う人もいる」というのです。
そして
「こういう社会的なマナーを身につけた人が……、厳しい生活環境のなかで最後まで弱音を吐かなかった」
という話でした。
過酷な南極のテント生活ほどではないにしても、「コロナコロナ」で気が滅入りそうにもなります。
しかも外出はしないようにというので、部屋にいることが多くなっていると思います。
そういうときであっても、朝起きる時に起きて、きちんと身だしなみをととのえて、
食事のときには手を合わせていただきますといい、お互いに挨拶をするということは大事です。
「社会的なマナー」と書かれていますが、よき習慣であります。
よき習慣を身につけていることが、どんな時にも自分自身を守ることになります。
よき習慣といえば、仏教では「戒」の本来の意味です。
戒を守れば戒に守られるとも申します。
仏教では、戒の根本は不殺生です。いのちあるものを大切にしようという習慣を身につけることです。
それから人を傷つけるような言葉を使わないようにという習慣を身につけるのです。
どこにも出掛けず、誰にも会わず、一人居るとしても、きちんとした習慣を大切にしたいものであります。
横田南嶺