悲しみ
四月十七日は、前管長足立大進老師の四十九日忌にあたりました。
折からの新型コロナウイルスの影響で、ほんの数名でひっそりと読経をすませました。
二月の末と三月の末と、足立大進老師と恩師後藤牧宗和尚と二人の師を亡くしました。
それぞれご高齢でもあり、かねてより覚悟をしていたものの、
四十九日過ぎた頃になってくると、ふと何かの折りに悲しみが湧いてくることがあります。
そんな時には、真民先生の詩を思います。
かなしみ
なんとも言えぬかなしみが
潮のように満ちてきて
じつと寝ていられぬときがある
なんとも言えぬかなしみが
潮のように引いていったあと
まもられている自分に涙することがある
(『坂村真民全詩集第一巻』より)
まさしくその通りだと思うのです。
五木寛之先生の『自力と多力』(ちくま文庫)を読んでいると、
「悲しみを癒やすものは、悲しみである」
という章がありました。
五木先生の知人が入院されたとき、その方と同じ病院に二十歳そこそこの女性が入院したそうです。
がんを患い、副作用に苦しまれていたといいます。
その若い女性が毎晩窓から見える東京タワーを見ながら、しくしく泣くのだそうです。
その理由を聞いてみると、
「死は怖いのですが、それよりももっと納得できないことがある」
というのです。
それは
「どうして自分だけが、こんなにきれいな夜景のなかで、苦しまなければならないのか、その理由がわからないことが苦しくて悲しいのです。
私と同じ若い人たちは、きっといまごろ、デートをしたり、コンサートに行ったり、本を読んだりしているのでしょう。
なのになぜ自分だけが、抗がん剤治療のために髪も抜けて、吐き気に襲われながら、窓の外の東京タワーをみていなければならないのでしょうか」
という、深い悲しみなのです。
こんな女性の質問にどう答えたらいいのか、五木先生は考え続けられたと書かれています。
考え続けた結果、実際にその若い女性を前にしたとき、言うべき言葉など何もないと思い至ったといいます。
「ただできることと言えば、かたわらにいて、ともに泣いているだけのことです。何も言わない。
じゃまだといわれれば、だまって去るしかない。」
というのであります。
これが、「慈悲」の「悲」なのだと五木先生は説かれています。
そこでこの一章に最後に、
「東京タワーの見える病室の女性を、もしわずかでもやわらげるものがあるとすれば、それはやはり悲しみでしかないのかもしれません。
悲しみの暗闇のなかで、一厘でも苦しみをやわらげるものがあるとすれば、ともに悲泣することしかないのではないでしょうか。」
と結んでおられます。
今の悲しみが、将来誰かの悲しみを癒やすことになれる時がくるのであろうかと、四十九日の法要を終えて一人考えています。
なぜか庭の牡丹の白い花も、悲しく咲いているように見えます。
横田南嶺