三嗣の判
先日、静岡県浜松にある方広寺派の管長安永祖堂老師が、足立大進老師の弔問にお見えくださいました。
ご遠路わざわざお運びくださり、懇ろに読経し焼香くださいました。有り難いことであります。
読経いただいた後で、茶礼している折りに、
安永老師が
「やはり、厳しい老師でいらっしゃったのですか」
とご下問になりました。
私としては「いや、もう、厳しいなんてものではありません」
と申し上げたかったのですが、
「いえ、まあ……」
と言葉を濁しました。
そこで、ちょうど「上士は仇に嗣ぐ」という言葉を思い出して、
安永老師に
「上士は仇に嗣ぐなどという言葉は、いったいいつ頃から言われるようになったのでしょうか」
とうかがいました。
私も詳しく出典を調べたこともなく、こんな言葉は江戸時代頃かなと思ったりしていました。
内心は、こんな言葉があるから、厳しく接せられるのではないかと思っていたのでした。
安永老師は、京都の天龍寺で平田精耕老師について御修行されて嗣法して、その後花園大学の教授となり、天龍寺国際禅堂師家もお勤めになっておられる学徳兼備の老師であります。
私も平素よりご尊敬申し上げる老師であります。さすが老師は、すぐに誰の言葉であるかを即答してくださいました。
その後で、ご丁寧なお手紙で、更に詳細をご教示いただきました。
この言葉は、雲外雲岫(一二四二~一三二四)という禅僧の言葉だそうです。
宋末から元初にかけて天童山を中心に活躍なされた曹洞系の禅僧であります。
その雲外禅師が弟子の東陵永璵
(一二八五~一三六五)禅師にに与えた「宗門嗣法論」という書物にあるのだそうです。
東陵禅師は、一三五一年に来日し、足利幕府や夢窓国師との縁も深く、
後に天龍・南禅・建長・円覚などの住持を務められています。
円覚寺には東陵禅師の讃による仏鑑禅師の頂相も伝わっています。
お名前を存じ上げている方のお師匠さんの言葉と聞いて少し親しみを覚えました。
そしてこの言葉が、江戸の頃どころか、もっと古い伝統のある言葉だとわかりました。
安永老師のご教示によると、
原文には
「其れ法を嗣ぐ者に三有り。上士は怨みに嗣ぐ。中士は恩に嗣ぐ。下士は勢いに嗣ぐ。
怨みに嗣ぐ者は道に在り。恩に嗣ぐ者は人に在り。勢いに嗣ぐ者は己に在り。」
とあるそうです。
仏法を受け継いでゆくのに三種類のあり方があるというのです。
上根の者は、怨みをうちに法を受け継ぐというのです。
中根の者は、恩に感じて法を受け継ぎ、下根の者は、勢いに乗じて法を受け継ぐというのです。
師家と弟子は仇敵同士という関係は、すでに宋の終わり頃、元の時代から言われていたことなのです。
仇敵となってお互いに切磋琢磨しあい、そして法を受け継いでゆくのは、どこまでも真実の道を求めてのことなのです。
より高い道を求めればこそ、お互いに激しくぶつかり合うのでしょう。
恩を思って修行するのは、その人を慕う気持ちからだということでしょう。
それでは結局その人を乗り越えてゆくことまではできないと思います。
最後に勢いにあやかって修行しようというのは、自分自身がよく思われたい、よく見せたいという自分中心な思いの為に修行するのだということでしょう。
お互い仇敵のような間柄で修行しあうのは、真実の仏道を求めてのことなのです。
少々の艱難辛苦にも微動だにしない心で、道を求めればこそなのだと、改めて理解できました。
そんな遠い昔から、禅門の師弟はお互いに切磋琢磨しているのだと学ぶ事ができました。
横田南嶺