耕す
このところ、諸行事がすべてキャンセルになったので、時間ができて、畑を耕しています。
青空のもとで鍬を持って、土を耕すのは、なんとも心地よいものです。
畑を耕しながら、お釈迦さまの言葉を思い起こしています。
お釈迦さまが、マカダ国の南山におられた時の事、
おりから田植えの時期で、バラモンが田を耕していました。
そこにお釈迦さまが托鉢して食を乞われました。
それに対してバラモンは、
「わたしは耕して種を播く。耕して種を播いたあとで食う。あなたもまた耕せ、また種を播け。耕して種を播いたあとで食え」
と言いました。
お釈迦さまは、
「バラモンよ。わたくしもまた耕して種を播く。耕して種を播いてから食う」
と答えました。
あなたが耕している姿など見たこともない というバラモンに対して、
お釈迦さまは、
信はわが蒔く種である。
智慧はわが耕す鋤である。
身口意の悪業を制するは、
わが田における除草である。
精進はわがひく牛にして、
行いて帰ることなく、
おこないて悲しむことなく、
われを安らけき心に運ぶ。
と詩をもって答えられました。
古い『耕田経』という経典にある話であります。
そんなお釈迦さまの言葉を思い起こしながら、畑を耕していると、土の中に幼虫が眠っているのに気がつきました。
あやうく、鍬で殺めてしまいそうでした。
私ども禅宗では、中国の唐の時代の頃から、作務(さむ)といって畑を耕したりする労働を尊んできました。
ですから、今でも畑を耕したり掃除をしたり、作務を大事にしています。
しかしながら、お釈迦さまは、仏弟子たちには、土を耕すことを戒律で禁じられました。
なんとなれば、土の中の虫の命を殺めることがあるからなのでした。
地中に眠っていた幼虫を、静かに土の中に戻してあげながら、
大地の中の生き物のことまでお考えになって、殺生を禁じられたお釈迦さまの慈悲心の篤さに、改めて感動しました。
横田南嶺