無知が人を傷つける
仏教では貪瞋癡(とんじんち)という三つの煩悩を説いています。
貪りは、欲望ですから、過剰な欲望を起こして人の物を我が物としようとしたりして、争いの種になり、苦しみを引き起こすことはよくわかります。
瞋りもまた、憎しみなどと同じように、直に人を傷つけたりしますので、苦しみを引き起こす煩悩であることはわかりやすいものです。
最後の「癡」は愚かさです。これは、わかりにくいのです。
癡は、無知なのです、知らないし、知ろうともしないことです。
これは、貪りや瞋に比べるとそんなに悪くないように思うかもしれませんが、これも人を傷つけるのです。
そんな例を学びました。
朝、時間があるものですから、ゆっくりと新聞に目を通します。
コラム記事に、不妊治療をなさっている女性が書かれていました。
三十代の女性ですが、帰省するたびに、親から「早く孫の顔がみたい」と言われるそうですが、
その言葉が脇腹をブスリとやれるようだと書かれています。
その女性は、不妊治療をなさっているのです。ところが、この不妊治療をしているということをなかなか言い出しにくいというのです。
不妊治療をなさっていた方の話を実際にうかがったことがありますが、体にも心にも大変なご負担です。
しかし、そのことを容易に人には言えないものですから、
多くの人は、気軽に挨拶程度の気持ちで、
「お子さんは?」
「子どもってホントかわいいよ、あんたも早く作りなよ」
「もう若くないんだから」
などと声をかけられてしまうそうです。
この女性は、そんな体験を経て、子どもを授かるのは当たり前のことではないということを、知る事ができた、それだけで一つ賢くなれたと書かれていました。
だからこそ、ご自身は絶対に人には聞かない「お子さんは?」 と、文章を終えられています。
その方が、不妊治療をなさっているということを知らないし、知ろうともしない、
不妊治療がどんなに大変なのか知らないし、知ろうともしない、
子を授かるということが決して当たり前でないということを知らないし、知ろうともしない、
そんな無知、愚かさから出る一言が、その人を傷つけてしまうのです。
無知は、人を傷つけるのです。
しかもこの方も「脇腹をブスリと」と表現されているように、貪りや瞋りのような、はっきりとしたものよりも、グサリと響くのです。
私もまた、知らなかった為に、人を傷つけたことはないだろうかと反省させられます。
きっと数多くあるのでしょう。
だからこそ、常に深い反省と正しい智慧を身につける努力とを怠ってはならないのです。
横田南嶺