師の喚ぶ声
『無門関』の第十七則に、「国師三喚」という公案があります。
南陽の慧忠国師が、三度侍者を喚ばれると、侍者は三度返事をしました。
すると国師は、
「自分がお前の気持ちにそむいているとばかり思っていたが、なんだ、お前の方が自分の好意を無にしていたのか」
(大蔵出版 新国訳大蔵経、柳幹康訳による)
と言われたという問題です。
三度侍者を喚んで、三度返事をするのですが、その後に言われた国師の言葉が難解です。
師は、弟子をよく喚ぶものです。
「おい、お茶をもってこい」
「はい」
「おい、あそこを掃除しておくように」
「はい」
「おい、出かけるから支度をするように」
「はい」
などなど。
私なども、三十年来師にお仕えしてきて、それは幾たびも幾たびも喚ばれては駆けつけていました。
足立老師がお亡くなりになる三日ほど前から、ご容態がすぐれないようになりました。
いつ、何があってもおかしくないと覚悟しなければならなくなりました。
新型ウィルスの影響で、行事がキャンセルになったこともあって、ずっとご様子をうかがっては待機していました。
二十九日のお昼過ぎに、ふと気になって臥龍庵に行こうと思い立ちました。
これから行く旨を伝えると、折り返し、今容態をおかしいのですぐに来て欲しいといわれました。
行こうと支度をしていたところなので、すぐに臥龍庵まで駆け足で参上しました。
平素から老師は、山内を僧侶が走るものではないと厳しく言われていたのですが、
この時ばかりは、たとえ師のお叱りを受けても走って行かざるを得ない思いでした。
駆けつけて、すぐに医師に来てもらって、臨終に立ち会うことができました。
その時間に駆けつけようとしたのは、自室にいたのですが、ふと耳に老師のお声が聞こえたように思います。
「おい、でかけるぞ」
「はい」
三十年来お仕えした日々は、三たび喚ばれ、三度返事をする、ただその連続でありました。
師がそむいたのか、また師の好意にこちらがそむいたのか、そのようなことに関わらずに、ただ無心に返事をして駆けつけてきただけでありました。
横田南嶺