師を送りて – 2 –
通夜の晩と、その前日の晩は、一人でご遺体のおそばに布団を敷いて、ご遺体をお守りさせていただきました。
修行僧の頃は、よくお供をさせていただいて、いろんな旅館や宿で休ませていただきました。
同じ部屋で休ませてもらうこともありました。
老師よりも早く起きると、老師を起こしてしまうので、これは駄目です。
かといって老師が起きられてから、起きるようでは、これまたお叱りを受けます。
そこで起きていながら、布団のなかでじっとしていて、老師のお目覚めになるのを待つのでした。
老師が寝返りを打ってお目覚めだという、まさにその瞬間にこちらも今起きたかの如くに起きてご挨拶をして、
お手洗いに行かれている間にお布団をあげて、お茶の支度をするのでした。
ホテルで、部屋が別々の時には、更に気を遣いました。
隣室で、ひたすら息をひそめて、物音のするのを待ちます。
お目覚めの気配を察すると、お部屋にうかがいました。
このような機敏が大切でした。
思い起こせば、お元気な頃には、僧堂の餅つきによくお見えくださいました。
老師が餅を搗かれ、私が手返しをし、私が搗いて、老師が手返しをするなど、よく勤めさせてもらいました。
二人の呼吸が合っていると、言ってくださった方がいました。
こちらはそんな意識をしていないのですが、長年お仕えしてきたからなのでしょう。
ご遺体のおそばで布団を敷いて寝ていると、老師がお目覚めになるのではないかと気になって何度も目が覚めました。
未明、いつしか布団のなかで、お目覚めを待っている心境になっていました。
もちろんこと、老師はお目覚めになることはなく、そぼ降る雨の中、静かに夜が明けました。
横田南嶺