icon_arrow-r_01 icon_tryangle icon_search icon_tell icon_download icon_new-window icon_mail icon_p icon_facebook icon_twitter icon_instagram icon__youtube

臨済宗大本山 円覚寺

臨済宗大本山 円覚寺

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ 2025.05.12 更新
  • 法話会・坐禅会・
    写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • 円覚寺売店
  • 弁天茶屋
    (休業中)
  • お知らせ
  • Q&A
  • リンク

© 2019 ENGAKUJI
ALL RIGHTS RESERVED.

お問い合わせ

2020.03.04
今日の言葉

生か死か

『碧巌録(へきがんろく)』というのは、中国宋代の禅僧 圜悟克厳(えんごこくごん)(一〇六三~一一三五)が、百の禅問答を編纂した書物です。

岩波文庫でも手に取ることができます。

その百則の禅問答に中に、不思議な問答があります。

 

道吾円智(どうごえんち)禅師が、漸源(ぜんげん)という侍者をつれて、とある家に弔慰に出向かれました。

そこで漸源は、奇妙なことに棺桶を打って、「生か死か」と道吾禅師に問いました。

棺桶に入っているのですから、その中に入っているのは死人であることは当然です。

しかし、それに対して道吾禅師は、「生ともいわず、死ともいわず」と答えられました。

生きているとも言えない、死んでいるとも言えないというのです。

どうして、言えないのですかと詰め寄る漸源に道吾禅師は、

ただ「いわじ、いわじ」とのみ答えたのでした。

どこまでも、言わないというのです。

 

生と死の境は、どこにあるのでしょうか。

今日一般には、呼吸停止、心拍停止、瞳孔拡大の三つをもって死と判定するのでしょう。

しかし厳密に考えてゆくと、何が生なのか、何をもって死とするのか、考えれば考えるほど難しくなってきます。

生がずっと続いて、その果てに死が訪れるように思われますが、

実は一枚の紙の表と裏のように、生の裏には常に死があるように思います。

生と死とは、常に表裏一体であって、何かの折に死が表になるだけのように思います。

「生をあきらめ、死をあきらむるは仏家一大事の因縁なり」

とは、道元禅師のお言葉ですが、

生とは何か、死とは何かを究めてゆくことこそ、生きる上においてはもっとも大切な課題でありましょう。

果たして、今私は生きていると言えるでしょうか。

「いわじ、いわじ」

 

横田南嶺

生か死か

前の記事
次の記事

カテゴリー

  • 僧堂提唱(37)
  • 坂村真民 詩(87)
  • 掲示板 (今月の詩)(31)
  • 今日の言葉(2076)
  • 今日の出来事(164)
臨済宗大本山 円覚寺

〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ
    • 管長侍者日記
    • ビデオ法話
    • 回覧板 (おしらせ)
  • 法話会・坐禅会・写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • お知らせ
  • リンク
  • 円覚寺売店
  • 弁天茶屋(休業中)
  • Q&A
  • お問い合わせ