師を送りて
円覚寺の前管長足立大進老師が、二月二十九日にお亡くなりになりました。
禅僧の死を「遷化(せんげ)」と申します。
亡くなったのではなくて、教化の場を遷すという意味です。
脳梗塞を患われてから療養中でありましたが、臥龍庵に於いて、二十九日の午後一時半頃、静かに息をひきとられました。
禅僧の死を「遷化」ともいい、また「示寂(じじゃく)」という言い方もしますが、まさしく「寂」を「示」されたご最期でした。
諸行事が中止となっていたおかげで、ご臨終にも立ち会うことがかないました。
思えば、約三十年にわたって、老師にお仕えしてきたことになります。
今自分は五十五歳ですので、人生のほぼ大半をこの老師の為に尽くしてきたことになるのです。
そう思えば実に感慨無量なものがあります。
毎日毎日三度三度のお食事をお作りしてさしあげていた日々のこと。
決して料理を褒めるようなことはしない老師でした。
お小言を頂くことばかりで、黙ってお召し上がりくださるとホッとしたものでした。
修行僧の頃から、いろんな所に、お供をさせてもらいました。
重い鞄を両手に持って、老師のあとを追いかけるのが精一杯でした。
老師は、足が速く、駅の階段でも二段飛ばしでさっさと上がられます。
こちらは下駄履きで、大きな荷物を手に持っていますので、そう早くは登れません。
見失わないように追いかけるのが精一杯でした。
お目にかかるたび毎に、お小言を頂戴してきました。
これだけは、師家になっても、管長になっても変わることはありませんでした。
禅僧の師弟関係は、古来「上士は仇につく」という言葉がありますように、師と弟子とは仇敵のようなのがよいと言われています。
「中士は恩につく」ともいって、師の恩を思っているようでは、まだ中くらいであって、仇敵になるのが「上」だというのです。
老師と私なども、三十年の間、お互いそのように張り合ってきたと思います。
無理難題を仰せつけられるたびごとに、「なにくそ、負けてなるものか」と思いながらも、一日一日を過ごしてきました。
おかげさまで、耐え忍ぶことだけには馴れさせてもらいました。
師の位牌を胸に抱いて師を送ることは、なんとも言いがたいものであります。
最後のご奉公であります。
横田南嶺