十夜が橋(とよがはし)
宇和島の大乗寺を訪ねて、その後松山に向かう途中、十夜が橋に立ち寄りました。
十夜が橋は、長年訪ねてみたいと思っていたところです。
というのは、大森曹玄老師の『驢鞍橋』(大法輪閣)にある話を読んでいたからです。
『驢鞍橋講話』は、大法輪に連載されていもので、私は中学生の頃から愛読していたものです。
十夜が橋について、大森老師が語っておられるところを引用させていただきます。
天竜寺管長の関精拙老師が師匠の竜淵禅師から「お前は徳が足りないから四国の八十八力所を回ってこい」と言われて巡礼に出たが、十夜の橋まで行った時、その橋は昔から、わらじを脱いで素足で渡らなければいけないことになっていたという。ところが、精拙老師は豪傑だから、弘法が何だ、とばかり制礼を無視して、わらじのままスタスタ渡ってしまった。渡り終わると、橋のたもとに立て札が立っていた。それに一首の和歌が記されている。
行き悩む うき世の人を 渡さずば
一夜を十夜の橋と思ほゆ
精拙老師はそれを読み、何遍も繰り返し読んでいるうちに涙声になってしまった。しまいには堪らなくなって大声を上げて泣き出した。そしてもう一度戻って、素足になって渡り直したという。今はコンクリートになって、自動車がゴーゴー通る橋だけれども、その橋の下に降りて見ると、弘法大師が横になっている像が祀ってあり、今の和歌が彫ってある。
それは、弘法さんがそこまで来られた時、どこでも泊めてくれなかった。で、橋の下で一夜野宿をした。ところが、川上で雨が降ったために水かさが増してきて、寝る場所がない。恐らく一晩中そこで寝もやらずに難儀されたことだろう。その時に、自分を泊めてくれなかった邪慳な人々をどうしたら素直な気持ちにしてあげられるだろうかと、とつおいつ考えていたら、一晩が十晩にも思われるような、長い長い感じだったのであろう。弘法さんほどの人がそのようにして苦労された。そこに菩薩の行願というものがある。精拙老師は、その和歌を繰り返しているうちに大声を上げて泣き出したのであった。
誰も泊めてくれる家がなくて、そのことを怨みに思うどころか、どうしたら、そのような人たちを、素直な心にしてあげることができるであろうかと、一夜が十夜に思われるほど、考え悩み続けられたというのであります。
弘法大師のお慈悲の深さには、感服するばかりであります。
そして、その弘法大師の慈悲の心に打たれて、精拙老師は涙を流されたというのです。
いつか、この橋を訪ねてみたいと思い続けていて、三年前に、布教師の和尚さんたちと宇和島の大乗寺を訪ねた折に、高速道路を走っていると、
先月病でお亡くなりになった、西村和尚が、
「管長さん、十夜が橋は、このすぐ近くにあるのですよ」
と教えてくれたのでした。
あの十夜が橋が、この近くにあるのだと知って、いつか訪ねてみたいと思っていたのでした。
念願かなって、ようやく訪ねることができた十夜が橋でした。
十夜が橋については、臨黄ネットに愛媛県の和尚様が、書いてくれています。
こちらもすばらしい法話でありますので是非ともご参照ください。
http://rinnou.net/cont_04/myoshin/post_16.html
横田南嶺