ふかきをきわめ あさきにあそぶ
二十二日は、愛媛県砥部町で、坂村真民記念館の開館八周年特別展に併せて記念講演をさせていただきました。
演題は「ふかきをきわめ あさきにあそぶ」です。
真民先生の詩の魅力は、なんといってもその「深さ」にあります。
人間を見つめる眼の深さ、人生経験の深さ、仏教や禅についての造詣の深さですが、なんといっても一番大事なのは「愛の深さ」だと思っています。
真民先生に「わたしの愛する字」という詩があります。
わたしの愛する字
第一番は愛
第二番は真
第三番は念
第四番は光
第五番は気
まあそれだけにしておこう
という詩です。
この詩をもとにして、愛について、真について、念について、光について、そして気についてそれぞれの詩を引用して講演をしました。
まず、
海の深さは
測ることが
できるが
愛の深さは
測ることは
できない
の詩を紹介して、真民先生の愛の深さを話しておいて、さらに単なる愛情の深さだけではなく、「真」なるものを求めての深さであることを話しました。
「真」なるものを求めて、真民先生はブッダにならい、一遍上人を手本にして深く道を求められたのでした。
「真」なるものを求めるということは、単に求めればいいというものではなく、深く心に「念」じるのであります。
「念」とは心に強く思うことです。強く思って念じ続けることなのです。
真民先生の「念」とは、闇を光に転じるための「念」であります。
念じ続けることによって、闇の世界をが「光」の世界へと転じる事ができます。
そのために毎朝重信川の畔で朝の光を浴び、その光を吸われたのでした。
そのように光を浴び、吸うことによって、自らの体に「気」が満ちてくるのです。
気力が満ち、元気になり、やる気が起こり、そして気迫が出てくるのです。
気が満ちてきて、何をするのかと言えば、深いところにとどまるのではなく、
人々の苦しみ悩む浅きところに出でて、はたらいてゆくのです。
それは真民先生は、「飛天」になってと表現されました。この世にとどまって人々の為に幸せになるように祈るのです。
そのように真民先生のご生涯をまとめて、最後は「ただ」の詩を紹介しました。
ただ
ただ貧しく
ただ一隅で
ただ一心に
ただ詩作し
ただ賦算し
ただ生き
ただ死す
これがわたしの
ただ一つの念願
ふかきをきわめ、あさきにあそぼうとされた真民先生の詩は、令和の世になっても清らかな香りを放っています。
花が咲いていたら、その花に、鳥が鳴いていたら、その鳥に、真民先生の詩の心を感じて欲しいと話をさせていただきました。
横田南嶺