鬼追わず福を求めず
節分会には、各神社やお寺では、盛大に豆まきがおこなれるようです。
明くる四日の朝刊には、そんな節分会の様子が掲載されています。
円覚寺ではというと、本山ではほとんど何もしません。
僧堂の中だけでひっそりとお経をあげて豆をまいています。
お隣の建長寺さまでは、毎年盛大に行われているようです。
たぶん建長寺でおやりになっていることには、円覚寺は遠慮するのだと思います。
「鬼は外、福は内」という豆まきには、私自身は少々違和感を抱いていました。
元来仏教では、鬼と福とを分けることはしないはずです。
福の神である吉祥天と貧乏神である黒闇天とは、一体であるという教えもあるのです。
しかしながら、今のように新型ウイルスが問題になっているのを考えますと、
古の人たちは、疫病などお互いの命を脅かすものを遠ざけようという素朴な願いがもとになっているのだなと納得することができます。
そんなことを思っていると、黒住宗忠の歌を教わりました。
黒住宗忠は、黒住教の教祖ですが、とても素晴らしい思想をお持ちで、私も常にその教えを参照しています。
鬼追わず 福を求めず 我はただ
追われし鬼を 福にみちびく
というお歌であります。
鬼だからといってむやみに追い払うこともしなければ、ことさらに福を求めることもないというのは、「無事」の心境でありましょう。
さらに、追われてきた鬼を福へ導くというのですから、慈悲の心がよくあらわれています。さすがだと思いました。
黒住宗忠の「まること」の世界です。みんな歪みや偏りのない調和のとれたまるい状態であり、それが天地自然の元来の姿だという教えです。
新型ウイルスの猛威もやがておさまって、どうか福が実現されるようにと願っています。
横田南嶺