お役に立てば
ねがい
一羽の鳥を救いえば
一匹の羊を救いえば
一人の人を救いえば
という坂村真民先生の詩がございます。
なんどか、住職の研修会で引用させてもらったことがあります。
大勢の人をすくおうなどと考えなくても、一人の人にでもお役に立てばいいのだと思っています。
存じ上げない方からおミカンを送っていただきました。
いただいたお手紙には、私のビデオ法話を楽しみに聞いていると書かれていました。
その方は、円覚寺にうかがうことが難しいらしいのですが、ホームページの管長のページにある法話を聞いて下さっていて、お礼の贈り物でした。
ビデオの法話など、誰か聞く人でもいるのかなと思っていましたが、有り難いことです。
一人の人でも聞いてくださっているのなら、それだけで十分だと思います。
その方にお礼の手紙を書いて、夕方駅前のポストに入れようとしたところ、ポストの前で、「管長ですか」と声をかけられました。
その方も存じ上げない方でしたので、何事かなと思いましたが、かなり遠方からお参りに来られた方らしく、なんでもいつも車の中で私の法話を聞いているというのです。
先方は、まさか管長が自分でポストに投函するとは思わなかったらしく、声をかけるのにためらったそうですが、こんなところで直接お目にかかれるとはと言って、喜んでくれました。
普段は、ポストに投函するのは、人に頼んでいるのですが、たまたま散歩を兼ねて出かけたところ偶然の出逢いでした。
思いかけなくも、ビデオ法話を聞いて下さっている方からの贈り物があり、いつも車の中で法話を聞いてくださっているという青年に声をかけていただき、うれしいことの続く一日でした。
その日の朝には、庭の梅も一輪花開いたのでした。
横田南嶺