今日一日 笑顔でいよう
十二日、今年初の日曜説教を終えた日の夕刻、知人の和尚がお亡くなりになったと知らせを受けました。
かねてより、療養中と聞いてはいましたが、私より二歳年上和尚で、還暦を前にしてお亡くなりになるとは、なんとも残念な思いがします。
すると、また別の知人からも、その和尚が亡くなったという知らせをいただきました。
なんでも、その方からの知らせによれば、お亡くなりになる前の日に寺で法話をなされて、一緒に会食もしていたというのであります。
和尚は、本格的な修行も積まれ、学問にも熱心であり、よく勉強されていて、それでいて布教にも熱心な方でした。
三年ほど前に、私が坂村真民記念館への研修旅行を企画した折にも、ご参加くださっていました。
一昨年には、私がパリに講演に行った折に、偶然パリのホテルで和尚に出逢ったのでした。
まさかパリで出逢うとは思いもしませんし、ずいぶんとお痩せになっておられたので、別人だろうと思って通り過ぎようとしたところ、和尚からお声をかけてくださり、驚いたことでした。
2019年の一月には、臨黄ネットに法話を掲載くださっていました。
その法話に私の言葉が引用されているというので、知ったのでした。
「私の四弘誓願」という題の法話です。
和尚への追悼の思いもこめて、その一部を転載させていただきます。
私事で恐縮の上に、正月早々縁起でもないと叱られそうですが、一昨年の12月、医師より「スキルス性胃ガン。リンパ節と肝臓に転移。ステージ4。放置すればあと3、4ヶ月」という診断を受けました。私は思わずひとこと「やめます」と。誤解されては困ります。「(良寛禅師の)死ぬる時には死ぬるがよかろうと言うのを、やめます」です。その後、抗ガン剤治療のため入院。夜中にひとり淋しくベッドで坐禅をしておりました。「ああ、俺ももう長くないのか。諸行無常ってこういうことだったのか。やっぱりお釈迦さまは本当のことを言ってるな。しかたがない。明日のことはわからない。でも、今は生きてる。これは絶対間違いない。じゃあ、この今日をどう生きるか」。その時、心に浮んだのは円覚寺派管長、横田南嶺老師のお言葉でした。
明日はどうなるかわからないけれど
今日一日は笑顔でいよう。
つらいことは多いけれど
今日一日は明るい心でいよう。
いやなこともあるけれど
今日一日は優しい言葉をかけていこう。
私のような者が、世界平和や人間救済を弄するなどとは誠におこがましい限りですが、新春の初笑いに免じておゆるし下さい。題しまして、「私の四弘誓願」。
いろんなひとがいるけれども 今日一日 やさしい心でいよう
いろんなことがあるけれども 今日一日 あかるい心でいよう
この道は遠いけれども 今日一日 一歩すすもう
何があっても大丈夫 今日一日 笑顔でいよう
以上が「臨黄ネット」からの引用です。
重篤な病に罹り、死を覚悟されながらの一文ですので、胸打つものがございます。
今年の一月十一日から、その和尚のお寺で五人展を開催なされていたとか。
チラシを拝見すると、四名の芸術家の方の名前がございます。
五人展なのにおかしいなと思うと、もう一人は和尚自身であり、和尚の法話が作品なのだとか。
私の知人も「みな一生忘れられない話となりました」と言っていました。
きっと、最後まで「今日一日 笑顔でいよう」を実践されていたのでしょう。
最後の法話とそのお姿こそ、和尚一世一代、渾身の作品であったと思います。
横田南嶺