報恩底(ほうおんてい)
かつてお世話になったご老僧が、療養中と聞いてお見舞いに行ってきました。
ご老僧は、大正の末年のお生まれですので、九十歳を越えていらっしゃいます。
今春、奥様を亡くされたと聞いていたので、お弱りになっているのではと案じて出かけました。
お部屋に入ると、ベッドでお休みになっていましたが、
私の顔を見ると、驚いた様子で、すぐに起き上がり、ベッドの上で居住まいを正されました。
九十歳を越えても、背筋はピンと伸びて、美しい姿勢はお元気な頃を思い起こさせます。
「管長さんに、わざわざお越しいただいて恐縮です」とベッドの上で深々と頭を下げられます。
四十年も若い私などにも礼を尽くされるお姿は、やはり禅僧であります。
しばらく、お茶をいただきながら、談笑させていただきました。
ご老僧は、十歳で厳しいことで知られた禅寺に入門されて、長い御修行を積まれた方であります。
とある管長様の侍者も長らくお勤めになられて、当時は侍者の鏡と讃えられた方でもあります。
私の恩師である松原泰道先生ともご昵懇でいらっしゃいました。
そんなご老僧から昔のお話を伺うことは有り難いことです。
談笑のついでに、話題を転じて、「テレビはご覧になりますか」とうかがうと、
一瞬居住まいをただされて、
「今は、こうしてお世話になるばかりで、何も出来ないものですから、
せめてもの報恩底で、私にできることはというと、
電気を無駄に使わないようにすることぐらいですので、テレビはつけません」
と静かに語られました。
「報恩底(ほうおんてい)」という言葉が耳に残りました。
「恩に報いること」、ご恩返しであります。
ご療養中にあっても、なお自分にできるご恩返しは無いかと考えてお暮らしなのでありました。
幼少より、禅寺に入って厳しい禅の暮らしをなさってきて、
それが療養中にあっても身についていらっしゃることに、頭が下がりました。
思わずこちらも居住まいを正して、背筋を伸ばしました。
お見舞いにうかがったのですが、大事な教えをいただいた思いでした。
本ものの禅僧とはこういう方をいうのであろうと思いました。
横田南嶺