痛み
久しぶりに歯医者に行きました。初めてうかがう歯科医にお世話になりました。
いろいろと診てもらって、まだひどくはないものの、虫歯がひとつ見つかって、その場で治してもらいました。
まだお若い先生なのですが、実に丁寧に診てくれました。
治療の折にも、何度も「痛くないですか」と聞いてくださいます。
「大丈夫です」と答えながらも、あまりに頻繁に聞かれるので、思わず「長年修行の世界におりますので、少々の痛みには慣れています。それに歯医者に来るからには、痛いのは覚悟のうえですよ」と申し上げました。
すると、その先生は、「私は、痛いのがいやでいやで仕方ないのです。ですから患者さんにもすこしでも痛みを感じないように精一杯努力しているのです」と静かに答えてくれました。
診察台に坐っていながら、盤珪禅師の話を思い出しました。
雷が鳴るとびっくりしてしまうのでどうしたらいいかという相談に、盤珪禅師は、「びっくりしたらびっくりしたでいいじゃないか」と答えられました。
驚くのは、怖がりのように思われるのでしょうが、驚くのも仏心のはたらきだというのが盤珪禅師の教えです。
修行をすると、何ものにも驚かなくなり、痛みも感じなくなるように思われるかもしれません。
たしかに、そんなことを目指して修行してきたこともありました。
しかし、痛みを感じることは大事なことであります。驚くのも大切なことなのです。
驚くから、慎重になります。
痛みを感じるからこそ、痛くないようにしてあげようという心が起こるのでしょう。
修行して痛みも感じないようになったら、むしろ恐ろしいことのように思います。
そんな人は、人の痛みも感じなくなるのかもしれません。
痛みを感じるからこそ、思いやる心が生まれます。
歯の痛みや、身体の痛みを感じることはもとよりのこと、私はどれだけ人の心の痛みを感じているのだろうかと、深く反省しました。
仏光国師の言葉に「深慈痛悲」(人の苦しみや悲しみが痛いほど感じられ、深くその人をいくつしむ心)というのがあったと、歯医者からの帰り道に思い出しました。
横田南嶺