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臨済宗大本山 円覚寺

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2019.12.21
今日の言葉

閑不徹(かんぷてつ)

禅語に「閑不徹」というのがあります。

文字だけみますと、閑けさが徹していない、完全に静かになっていないような趣を感じるかもしれません。

禅語としての意味はというと、

『禅学大辞典』には、「徹底したしずけさのこと」と解説されていて、

入矢義高先生監修の『禅語辞典』には「どこまでものんびりしている」と説明されています。

「不徹」が徹底していないという意味ではなく、「~不已」(~やまず)、「~不盡」(~つきない)を表し、

現代語にすれば、「~てやまない」「~極まりない」という意味として解釈しています。

無学祖元禅師の語録『仏光録』のなかに、「歓喜不徹」という言葉がでてきます。

今北洪川老師は、「不徹」は「つよくいうなり」と註釈し、「歓喜不徹」を「うれしくてたまらぬ」と解釈されています。

「閑不徹」とは、「閑けさ」を強調している表現です。

杜甫の『江畔獨歩尋花七絶句・其の一』に「江上被花惱不徹」という一句があります。

「江上、花の被(ため)に悩まされて徹(た)えず」と吉川幸次郎先生は、訓読されています。

吉川先生の注釈によれば、「「悩」はなやますだが、それに「不徹」をそえたいい方は、他の用例を知らぬ」とあり、

更に「「不徹」は何にしても俗語である」としながら、

「不徹」を「たえず」と訓読し「たまらなく悩まされる」と解釈されているのです。

吉川先生が俗語であると言われているように、

禅語には俗語を用いた表現が多いのです。

それは、禅がその土地に根ざして、その時代の言葉で語られたことを表しています。

それは素晴らしいことだと思いますが、後の世になって解釈するのは、難しいのであります。

いろいろと調べて意味を考えないといけません。学問を怠ってはならないと痛感させられます。

横田南嶺

閑不徹(かんぷてつ)

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