国境なき……
「国境なき医師団に寄せる」と題した、谷川俊太郎さんの詩が、十八日の毎日新聞夕刊一面に大きく掲載されていました。
詩の冒頭に
傷ついて赤い血を流し
痛みに悲鳴を上げるのは
敵も味方もないカラダ
ココロは国家に属していても
カラダは自然に属している
と述べられています。
そして、その詩は
国境は傷
大地を切り裂く傷
ヒトを手当てし
世界を手当てし
明日を望む人々がいる
で終わっています。
かつて谷川先生を円覚寺の夏期講座にお招きした折に、控え室で、坂村真民先生についてお話させていただいたことを思い起こしました。
坂村真民先生は、いわゆる詩壇というものには属せずに、独自の詩作活動をなさった方ですので、谷川先生のようなお方は真民先生をご存じかどうかうかがいました。
当然知っていますよと、答えてくれました。
どういうところでご存じになったのですかとうかがうと、谷川先生は、去年東慶寺で、管長の話に出てきたよと仰せになりました。
谷川先生は、東慶寺のお檀家であり、東慶寺のお盆の法話は私が行っていますので、私が真民詩を紹介したのをお聞きくださっていたのでした。
その控え室で、真民先生の最晩年の詩
こんど生まれたら
鳥になります
なぜなら
鳥には
国境がないからです
という一節を紹介させていただいたのでした。
谷川先生は、「さすがですね」と静かに深くうなずいておられたのが印象に残っています。
ダライラマ猊下の言葉に、
「砂に一本の線を引いたとたんに、私たちの頭には「こちら」と「あちら」の感覚が生まれます。この感覚が育っていくと、本当の姿が見えにくくなります。」
とあります。
鈴木大拙先生も『東洋的見方』に中で
「分割は知性の性格である。まず主と客とをわける。われと人、自分と世界、心と物、天と地、陰と陽、など、すべて分けることが知性である。
主客の分別をつけないと、知識が成立せぬ。知るものと知られるもの――この二元性からわれらの知識が出てきて、それから次ヘ次へと発展してゆく。
……それから、分けると、分けられたものの間に争いの起こるのは当然だ。すなわち力の世界がそこから開けてくる。力とは勝負である。制するか制せられるかの、二元的世界である。」
と述べられています。
我々は、この分けられた世界の中で生きているのですが、禅の修行は、まだ分かれぬ先の世界を大事にします。
坐禅をしてまず、二つに分かれる以前の一如の世界に触れたいものであります。
「国境は傷 大地を切り裂く傷」と詠われた詩人の思いが、深く胸に刻まれます。
横田南嶺