菅 正樹先生
十二月一日の毎日新聞日曜くらぶ一面に、花園大学の男子新体操部監督の菅正樹先生が紹介されていました。
そのことを小欄でも紹介したのを、大学の事務局の者が見ていてくれたのか、十日の授業に大学に行くと、菅正樹先生にお目にかかることができました。
いつも京都駅から山陰線に乗り換えて、円町の駅で降りて、大学まで歩いてゆきます。
電車の時間は決まっていますので、総務課の方や何名かが校門のところで出迎えてくれます。
いつもとは違う見慣れない人がいるなと思っていたら、その一人に菅正樹先生がいました。
かねてから、毎日新聞の記事を読んで、今年の十月全日本選手権に参加した団体競技の時に、一人の選手の異変に管先生がいち早く気がついて、演技をやめさせて棄権させたという話に感銘を受けました。
長い間、練習に練習を重ねた晴れ舞台、しかも花園大学は男子新体操では優勝を狙うような大学でありますから、どれほど重い決断であったか、想像を絶します。
生徒の異変にいち早く気がつくということは素晴らしいことです。
指導者として最も大切なことでしょう。
毎日新聞の記事にも「兄のような存在でいたいんです。指導者としてそれでいいのか、という人もいるでしょうが、選手との信頼関係があれば大丈夫です。」と書かれていますように、
いつも近いところで親身になって見ているからこそ、気がつくのだと思います。
その新聞記事を読んでいたので、十日大学に行くにあたって、前の晩に色紙に「慈眼」の二字を揮毫して添え状に新聞の記事を読んで感銘を受けたこと、
そしてこれからも、どうか暖かい慈しみの眼で生徒達を見てあげてくださいと書いて、大学の事務局に頼んで、菅先生に渡してもらおうと思っていたのでした。
それを総務課の方が察してか、お忙しいであろう管先生をわざわざお呼びくださっていたのでした。
講義の前のわずかな時間でしたが、総長室にお越しいただいて、茶礼をして歓談させていただきました。
大学時代には激しい競技を勝ち抜かれてきた先生なのですが、対座していてもいかにも穏やかで、お優しい人柄がにじみ出ています。
こういう新監督のもとで、きっと生徒達も大いに力を発揮してくれるだろうと思いました。
思えば、もう二十年も前、まだ三十代で僧堂師家に就任した頃、僭越ながら私も、円覚寺僧堂の新しい老師は、まるで雲水達の兄貴のような存在だと言われていたことを思い出しました。
あれから二十年、とても今や兄どころか、段々と親に近づいてしまいました。
同年代の和尚のお子さんを預かっていますので、間違い無く親の世代なのです。
今から兄のようになるのは無理にしても、そんな心だけは失いたくないと、菅先生に出逢って思ったのでした。
横田南嶺