浩然の氣
今北洪川老師は、幼くして儒学を修めて、十九歳の時には中之島で塾を開いて、門弟たちに講義をされていました。
ある時に、『孟子』を講義していて、『孟子』の中にある「浩然の氣」のところに到って、「孟子は浩然を説く、我は浩然を行うと」と声をあげられました。
門人たちは皆驚いたということです。
「浩然」とは『広辞苑』によると、「水が盛んに流れるさま。心などが広くゆったりしているさま。」解説されています。
「浩然の氣」とは、これも『広辞苑』には「天地の間に満ち満ちている非常に盛んな精気。俗事から解放された屈託のない心境。」として解説され、「浩然の気を養う」という用例が示されています。
『孟子』には「我善く吾が浩然の気を養う」と説かれています。
『孟子』によれば、その「浩然の氣」というのは、この上なく大きく、この上なく力強く、素直な心で養ってそこなわなければ、天地の間に充満するようなものであるというのです。
私なども、この洪川老師の話を読んで、自分もなんとか「浩然の氣」を手に入れたい、我が物としたいと思って努力しました。
しかしながら、そもそも「浩然の氣」とは、天地に満ち満ちている精気ですから、これは自分の努力で獲得するようなものではありません。
洪川老師も「浩然の氣」を実践したいと念願して修行をしたのですが、相国寺の大拙老師の厳しい指導を受けて、絶望のどん底に陥って、もはやだめかと思った時に、
「一夜、定中に忽然として前後際断し絶妙の佳境に入る。」とありますように、過去も未来も断ち切って、なんとも言いようのない心境になりました。
それは「恰も大死底の如く、一切物我有るを覚えず」
全く死にきったような状態で、外の物も我もないような心境になり、更に「ただ覚ゆ、吾が腔内の一気、十方世界に彌満して、光曜無量なることを」
自分の体の内部の氣が世界中に充満して限りなく光耀いているように感じられたのです。
自己を捨て切って、放ち忘れて、天地の氣と一つになるのです。
それには、自分の意図や、作為など一切を捨て果てることが必要です。
努力して努力して力を入れて入れて、それでもどうにもならなくて、一切を放ち忘れたときに、天地の氣に満たされたとでもいうべきでしょう。
私なども長らく、無駄な力ばかりを費やして、力んでばかりいましたが、この頃になって少しずつ、それは愚かな営みであったと気がついてきました。
我を放って、天地に満ちる浩然の氣に満たされるのです。
(花園大学講義より)
横田南嶺
〈総長室にて執務中の管長〉