大学講義
十二月十日は、花園大学での講義のために上洛。今年最後であり、今期最後の授業です。
私の担当する授業は、公開講座でもあるので、一般の方々も大勢聴講に来てくれます。
一般の方が熱心なのは言うまでもありませんが、学生さんたちはというと、お疲れのようにお見受けする方もいます。
なんとか、少しでも興味をもってもらおうと、毎回パワーポイントを作るのですが、話がどうしても禅の話でありますので、限りがあります。
ちょうど今から一年前、十二月最後の講義を終えて、近くのうどん屋さんでうどんを食べていると、一人の学生さんが、私のところにやってきて、何かなと思っていると、「本日の講義は感動しました。ありがとうございました」と丁寧に頭を下げられました。
見たところいかにも今風の学生さんだったので、その礼儀正しい姿と言葉遣いに驚いたのですが、たとえ一人であっても、そう言ってくださる方がいるのなら、一年間鎌倉から大学に通ったかいがあったとしみじみ思ったものでした。
今年は、禅僧の言葉に学ぶと題して、講義をしてきました。最初は唐代の禅僧、馬祖道一禅師から、臨済義玄禅師と続き、無学祖元禅師を通じて日本の禅僧へとうつり、夢窓国師から盤珪禅師に到りました。
今回は、近代の禅僧として今北洪川老師を取り上げました。
馬祖禅師が「即心是仏」こころこそ仏であるといい、臨済禅師は「無位の真人」と表現し、その教えが発展して日本に伝わって、盤珪禅師は「不生の仏心」として説かれました。
今北洪川老師の言葉として「至誠」を取り上げます。「至誠」はこの上ないまこと、まごころであります。
即心是仏や無位の真人が、日本になって、まことを貫く、まごころを尽くすという日本の国に根ざした教えとなってきました。
鈴木大拙先生が、「至誠の人」と評した今北洪川老師の生涯とその言葉を学びます。
横田南嶺