師の命日
十二月九日は、師匠小池心叟老師のご命日です。
禅宗では、誰しも二人の師匠をもつことになっています。
一人は、僧侶となるために得度をしていただく師匠であり、
もう一人は僧堂でご指導いただく師匠であります。
私の場合、得度の師匠が小池心叟老師であります。
思えば、昭和五十八年、大学に入った年にお目にかかったのでした。
大学に入って、どこで坐禅をしたらいいのか、誰の指導を受けたらいいのか、全く分からない状態でしたので、
松原泰道先生にお伺いすると、即座に一言、
「坐禅をするなら、白山道場の小池心叟老師のところに行きなさい」と仰いました。
そうして、文京区白山にある白山道場を訪ね、小池心叟老師にお目にかかたのでした。
この出逢いが、私の一生を決めました。
大学在学中にお弟子にしていただいて、頭を剃ってもらったのでした。
初めて頭を剃っていただいた時、お風呂場で、
老師は日本カミソリで剃ってくれましたが、痛かったのを覚えています。
以来平成十八年の十二月九日にお亡くなりになるまで、二十三年間お世話になりました。
とりわけ老師の晩年に、私が龍雲院の兼務住職を務めるようになりましたので、往時を思い起こすと感慨深いものです。
秋月龍珉著『禅の人』に、心叟老師のことを、
「小柄な体つきだが、いかにも清潔で、対座していると、その高雅な眉毛の行くえが美しい」と表現されています。
大学を卒業して、修行道場に出かける日、まだ朝早かったと思いますが、
玄関を出て門の外までお見送りくださいました。
「いいか、耐え忍ぶのですよ、修行とは耐え忍ぶことですよ」と言って合掌して送り出していただきました。
そのお言葉とお姿は、私の修行時代を支えるものとなりました。
そんな我が師を想い、墓前に読経してまいります。