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臨済宗大本山 円覚寺

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2019.12.06
僧堂提唱

この国の風(ふう)たるや…

禅の祖師方は、あまり自らの修行体験を語るようなことをなさりません。

ところが、『仏光録』の告香普説こっこうふせつには、自らの体験が細やかに説かれているのです。

なぜ、仏光国師が日本に見えて、自らが無字の工夫をどのようになさったのかを具体的に話されたのか、想像してみます。

仏光国師が、そのお弟子の仏国国師に語ったとされる言葉が、夢窓国師の語録に残されています。

その中に、仏光国師は、ご自身が日本で修行している仲間達を見ると、一生涯修行しても悟りを得られるものは少ないと仰せになっています。

それはなぜかというと、仏光国師は、

「この国の風たるや、只智才を貴び悟解を求めず。」と言われます。

この国の人たちは、どうも智識や才能ばかりを貴んで、悟りを求めようとしていないからだというのです。

そこで更に、少し見込みのある素質を持った者であっても、たくさんの書物を読んで、上手な文章を作ることに熱心で、参禅修行して道を究める暇がないように見えて、迷い続けるうちに一生を終わってしまう、まことに残念だと仰せになっているのです。

恐らく、これは、仏光国師のおそばで修行していた者たちは、仏光国師が日本語が出来ないので、その応対のために、一生懸命中国の言葉を学び、禅の問答にしても、漢文で応答しなければならないので、語録の言葉を学ぶことに精一杯だったのではないかと想像します。

致し方ないことだっということもできましょう。

しかしながら、それでは、禅の素晴らしさはとても分からないと仏光国師は言いたくて、敢えて自らの禅体験を披瀝されたのだと思っています。

(臘八大摂心提唱より)

 横田南嶺

この国の風(ふう)たるや…

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