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臨済宗大本山 円覚寺

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2019.12.04
僧堂提唱

無の一字

禅は中国の唐代に起こりました。馬祖道一禅師の言葉などから、禅の教えが明らかになっています。

何らかの宗教体験をなされた祖師が、自分の悟り得た世界を自由に表現されていました。

臨済禅師などもその一人であります。

しかしながら、高い悟りの心境を自由に表現されても、なかなか理解しがたいことも多いのものです。

具体的にどうすれば、そのような心境に達することができるのか、その方法を模索して、編み出されたのが公案の工夫であります。

祖師の残した言葉を手がかりに工夫を凝らしてゆきます。

とりわけ「看話禅(かんなぜん)」と呼ばれる教えがございます。

これは、例えば趙州和尚が、犬にも仏性があるかどうかと問われて、「無」と答えましたが、その「無」の一字に全身全霊を集中させていって、おおきな心境の変革をもたらすというものです。

平たくいうと、我々はお互い思い込みやとらわれの中で過ごしているようなものです。

何か一点に集中することによって、そのとらわれの殻を破るという方法であります。

ひたすら集中することによって、大きな力が得られます。

今まで当たり前と思っていた世界が当たり前でなくなり、自と他、善と悪など分け隔てていた差別が消えるという体験をすることができます。

そのような体験によって、馬祖道一禅師の説かれた「即心是仏」、心が仏であるというその心を体得することができると説いたのでした。

五祖法演禅師の頃からできてきて、圜悟克勤禅師や大慧宗杲禅師などによって大成されてゆきました。

そうしますと、当時の士大夫と呼ばれる役人などにも、この工夫は大いに取り入れられました。

どんな仕事をしていようと、どんな環境にいようが、その場において「無」の一字に集中することはできるのです。

円覚寺の開山である仏光国師も、南宋においてそのような「看話禅」を学んで日本にお見えになりました。

そこで、当時禅を学び始めた日本の僧俗に対して、公案の工夫とはどのようなものであるのか、ご自身の体験をもとに語られたのが、今学んでいる「告香普説」の一節であります。

我々の修行も、この「無」の一字に始まり、「無」の一字に終わるのです。

臘八の大摂心ですので、「無」の一字になりきって坐りましょう。

(臘八大摂心提唱より)

 横田南嶺

無の一字

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