錦きたるに勝れり
汾陽善昭禅師のもとで、慈明楚円禅師が修行されていて、
毎晩坐禅して眠気に襲われると、錐で自分の股を刺して眼を醒まして坐ったという話があります。
若き日の白隠禅師も、いっとき禅の道に志を失いかけていた時に、この話に感動して心を改めたということです。
汾陽禅師の頃の臨済宗はそれほど大勢の人が集まっているようではなかったそうです。
この時にも、汾陽禅師は、大愚、瑯琊(ろうや)などわずか六、七人で修行に励んでいたといいます。
仲間と共に修行することを「伴(ばん)を結ぶ」と申します。
一人では出来ない修行も、数名の志を同じくする者が集まることによって大きな力となって成し遂げてゆくことができます。
その折りに、大愚、瑯琊などと共に、大道谷泉(よくせん)という方も同じ仲間でありました。
この大道禅師については、道元禅師の『正法眼藏随聞記』に出てきています。
大道禅師の言葉に、
「風に向かって坐し、
日に向かって眠る。
時の人の錦被(き)たるに勝れり」
というのがあります。
この言葉を道元禅師は引用されながら、良い詩のように思われるが、
これではまだ錦を着るのが、よいこと、立派なことだという思いが残っていると指摘されています。
たしかに、言われてみますと、錦を着ることをすばらしいこととした上で、
それよりも、風に吹かれて坐り、お日様のもとで日向ぼっこしながら居眠りする方がいいと比較されています。
道元禅師のご指摘は鋭いものです。
私などは、とてもそんな考察はできずに、単純に「ああ、良い詩だな」と受け止めてしまいます。
このあたりが、どこまでも妥協せずに突き進まれて一宗を開かれた大禅師と、
なにごともいい加減に受け止めてしまい、凡百の拙僧にとどまるのとの違いなのだと思い知らされます。
南国生まれの気質もあるのかもしれませんが、なにごともつい大らかに受け止めてしまいます。
反省すべきところでもあります。
(臘八大摂心提唱より)
横田南嶺