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臨済宗大本山 円覚寺

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2019.11.25
僧堂提唱

人惑(にんわく)を受けざらんことを要す

禅文化研究所刊行の山田無文老師が提唱された『臨済録』は、今もわれわれ臨済の教えを学ぶ者にとっては、何よりの名著であります。

その本の帯に、「臨済がみんなに求めるところは、人にだまされるなということだ。」と書かれています。

更に「学問にだまされるな、社会の地位や名誉にだまされるな。外界のものにだまされるな。何ものにもだまされぬ人になれ、それだけだ。」と記されています。

『臨済録』の示衆のはじめのほうに、

「山僧が人に指示する処の如きは、ただ你が人惑を受けざらんことを要す」とございます。

「いま私が君たちに言い含めたいのは、ただ他人の言葉に惑わされるなということだけだ」という意味です。

この「人惑を受けるな」という言葉が、無文老師の本の帯に説かれているのです。

遠くさかのぼれば、仏陀が『カーラーマスッタ』という経典の中で、「人から聞いたこと、古い言い伝え、世間の常識、あるいは文字になっているもの、そういうものを鵜呑みにしてはいけない。想像、推測、外見、可能性、あるいは師の意見、そういうもので教えが真理であると決めつけてはいけない。」と説かれています。

人の言葉に惑わされるな、振り回されるなと言われて、なるほど、その通りだ、人の言葉に惑わされていてはいけないと思った時点で、それは「人の言葉に振り回されるな」という言葉に、すでに振り回されているのです。

なるほど、惑わされてはいけないと思って、惑わされないようにしているのは、既に惑わされているのです。

ですから、惑わされないようにしようと思っているのと、惑わされない状態というのは、異なるのです。

わずかの違いかもしれませんが、これが大きな差を生じます。

ありのままということも同じで、ありのままでいいのだ、ありのままでいようと思っているのと、ありままの状態とは異なるのです。

この違いを知らなければ、間違いをおかしてしまいます。

(雪安居月並大摂心提唱より)
横田南嶺

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