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臨済宗大本山 円覚寺

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2019.11.24
僧堂提唱

殊勝、自(おの)ずから至る

『臨済録』の中に、「殊勝を求めんと要(ほっ)せざれども、殊勝自ずから至る」という句があります。

殊勝には、「ことにすぐれていること」「敬虔な気持ちになること」「けなげなさま、感心なこと、神妙」などという意味があります。

岩波文庫の訳には、「至高の境地を得ようとしなくても、それは向こうからやって来る」となっています。

学問ができるということも、戒律を立派に守っているということも、素晴らしい悟りを開いたということなども、殊勝といえるのでしょう。

仏法においては、なんといっても、この輪廻からの解脱を意味しています。

なにも解脱を求めなくても、ひとりでに解脱しているとでも訳しましょうか。

臨済禅師も、解脱を求めてきた修行者に対して、「痴人、你ら三界を出て什麼処(いずこ)にか去(ゆ)かんと要する」と仰せになっています。

先日読んでいた『盤珪禅師語録』に、

「諸仏の心と人々の心と二つなし。然るに、悟りたいと思い、或いは自心を見附けんと思いて、修行用心するは、又是誤なり」と示されてあるのと同じであります。

我々の心が仏の心、今いるところがそのまま解脱の場であるのです。

解脱といっても、どこかに行くというものではありません。

仏心は三界に満ちあふれていて、どこにも行きようがないのです。

ただ、そのことを実感し体得するのみなのです。

(雪安居月並大摂心提唱より)
 横田南嶺

殊勝、自(おの)ずから至る

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