今日の言葉
仏さまの心
『法句経』の中に
勝つ者 怨みを招かん
他に敗れたる者 くるしみて臥す
されど
勝敗の二つを棄てて
こころ安静なる人は
起居(おきふし)ともに
さいわいなり(201 友松円諦訳)
とありますが、
勝った負けたという世界を捨てて離れることが
お釈迦さまの目指したところです。
ですから、同じ『法句経』に
彼 われをののしり
彼 われをうちたり
彼 われをうちまかし
彼 われをうばえり
かくのごとく
執する人々に
うらみは ついに
やむことなし(3 友松円諦訳)
と説かれていて、更に
まこと 怨みごころは
いかなるすべをもつとも
怨みを懐くその日まで
ひとの世にはやみがたし
うらみなさによりてのみ
うらみはついに消ゆるべし
こは易(か)わらざる真諦(まこと)なり
(5 友松円諦訳)
とも説かれています。
実に、お釈迦さまの時代も今日も、
いや人類が始まって以来、争いは絶えることはありません。
怨みに対して、怨みで報いることは、
いつまでも苦しみを増すばかりです。
妙好人の源左さんの言葉に、
仏さんのお心の中には
おらげ(私)の他人げのって
区別はないけんのう。
とあります。
宇宙から見たら、国境はないと言われますように、
仏さまの眼からご覧になれば、
自他の区別などは無意味なのでしょう。
お互いがお互いに関わり合うという縁起の世界しかありません。
そんな広い仏さまの心に目覚めることが、
これからの時代にはより一層大切になってくるでしょう。
(令和元年住職研修会法話より)
横田南嶺