「この騒いでいる心の本質は、仏(ほとけ)である」一日一語142
円覚寺では、昨日から第82回夏期講座が始まりました。
昨日、3講目の講師・谷川俊太郎さんと横田南嶺管長の写真です。
今日は、夏期講座2日目でした。写真は、2講目の講師である西澤真美子さんと
坂村真民記念館館長・西澤孝一さん、3講目の講師である神渡良平さんと
横田南嶺管長とのものです。
夏期講座1講目で横田南嶺老師が提唱されたことをまとめてみました。
仏(ほとけ)は心である、心にある。それでいながら、「仏はどこだ?」と
外に向かって探し回っているのは、愚かであります。
そこでお互い腰骨を立てしっかりと呼吸を調える。あちらこちら騒ぎまわる心を
静かにおさめる。昨日、波と水のたとえを言いましたが、
悩んだり苦しんだり叫んだり泣いたりといつも騒ぎまわっているのは波のようなもの。
しかし、その波立つ水の本質は、水である。この騒いでいる心の本質は、仏(ほとけ)である。
先ほどのベトナムのお坊さんの言葉ですが、
{ブッタはあなたの中にいる。
ブッタが呼吸をしている。
ブッタが歩いている。
私は呼吸を楽しむ。
私は歩いていることを楽しむ。}
こういう世界を説いているのでありますが、なかなか、いっぺんにわかる
というのは難しいかと思います。でも、少なくとも、このこころを持って
生まれている、お互いにこころがあるということ、このこころの尊いこと、
素晴らしいこと、これだけは、はっきりとつかんでおきたい、忘れないで
おきたいところであります。