「宗教の違いを超えて」 一日一語136
横田南嶺老師が先日、居士林で行われたブラウン大学宿泊坐禅会での懇談会で
アメリカの大学生の質問に答えられたことをまとめてみました。
学生: 世の中にはいろいろな宗教がありますが、それは、仏教とどういう
関係にありますか?
老師: 識(し)らないね。(一同笑)(少し間をおいて)他の宗教とは、キリスト教とか?
学生: そうです。イスラム教とかキリスト教と仏教がどうかかわっているかです。
老師: 仏教がということでは、私の知る範囲を超えて、答えることができないが、
私自身がどう関わっているかであれば、それは、答えることができる。
学生: では、そのお答えをお願いします。
老師: 私自身がですが、そうね、別段、キリスト教についてはいい教えだなと
思っているところは思っておりますし、イスラム教については、多少偏見が強い
ですから、もう少し偏見を離れて謙虚に学ばなくてならないなと今、思っています。
キリスト教とはわりにうまくやっているんだわ。(一同笑)
こないだも、うちの寺で長く坐禅をしていた学生がおりましてね、彼は、
哲学の専攻なんだけど、恋人ができて、結婚することになったんですな。
旦那の彼は仏教徒として結婚したいが、ところが、相手がクリスチャンで、
キリスト教徒として教会で結婚式を挙げたいがどうしたらいよいのかと
相談を受けた。
そこで、私は彼に結婚式を教会でやれと言いまして、そして、彼に
キリスト教徒になれと言いました。それで、先日、私は、教会での
結婚式に行って、いっしょに讃美歌を歌って祝福をしてきました。
しかし、それは決して仏教を捨てたのではなくて、愛する人ともに
同じキリスト教を信じて生きるということが、これがブッダの教えである
と思ったからである。
そして、旦那の方がキリスト教に近づいていけば、必ず、キリスト教の
奥さんもお寺で坐禅をするようになると私は言っていた。
すると、こないだ、二人でお寺にやってきたんだ。今、彼は、土曜日は
寺で坐禅をして、日曜日は日曜礼拝に行っているようだ。
しかし、これには、その後、もう一つの話があって、日本では、
哲学の博士号をとっても、その後、生活していくことが困難である。
ポスドクというのか、生活に困っていた。そうして、ある仏教系大学の
研究所の試験を受けて、それが通って、研究員として生活できるように
なった。
ただ、その大学というのは、禅とは違う、阿弥陀様の大学であって、
彼は、阿弥陀様の研究をしていかなければならない。
阿弥陀様の慈悲は広大である。キリスト教で結婚して2人の生活を
支えているのは、阿弥陀様だ。ブッダの慈悲は広大だ。
言いたいことは、真実の慈悲というのは、キリスト教だ、仏教だという
隔てはしないことだ。
太陽、日の光は、これはキリスト教徒であろうとイスラム教徒であろうと
仏教徒であろうと平等に照らしているものである。
その違いを超えて大きな働きがあることを知ることだ。
<平成29年1月13日 ブラウン大学宿泊坐禅会懇談会にて>