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臨済宗大本山 円覚寺

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2017.01.24

「山の人、街の人」 一日一語134


 <円覚寺境内・黄梅院にて マンサク>
 
横田南嶺老師が先日、居士林で行われたブラウン大学宿泊坐禅会での懇談会で

アメリカの大学生の質問に答えられたことをまとめてみました。

 学生: いろいろな人、特に若い人は、物事を変えて様々な人を助けたいという

希望があります。けれども、どちらの方が良いのか、私は気になっています。

一人悟りを求めて清くなるか、あるいは、いろいろな人を助けていくのかです。

 気になることは、自分一人で長い時間、瞑想することは、例えば、10年間、

一生懸命、人の為に働くことに対してどちらの方が良いかということです。

老師: それはね、世の中は多様性だ、ダイバーシティというんかい。

一生懸命、働く人もいれば、山に籠って瞑想をしている人もいていいんだと

思う。なぜならば、街でのボランティア活動によって救われる人もいれば、

その一方で、山で何年も瞑想している人に会って、初めて救われる人も

世の中にはいます。

 だから、世の中にあるものは、必ず意味があるの。

 そりゃ、山の中で瞑想をしている人には、10年に1人しか人が来ない

かもしれない。しかし、その10年に1人というその人の悩みや苦しみは、

街では解決できないものを持っている。

 ひっょとして、山の瞑想者は、生涯に1人の人と接して、1人の人に

安らぎを与えて終わりかもしれない。しかしね、山にまで尋ねて来る人

というのは、その辺の本を読んでも、講演会の話を聴いても、

納得できないからだと思うの。

 またね、わざわざ、山まで尋ねて行かなくても、山にそんな瞑想者がいると

知るだけでも、多くの人に安らぎを与えることもある。

 ですから、街で一所懸命働くことも山で瞑想することも同等なんです。

そこで、わたしは、あなたたちに自分が好きな道を選んでくださいと

言いたいのです。

 それで、自分自身が幸せになる、例えば、ボランティアをやって、

多くの人に飲み物や食べ物を与えて幸せになる、幸せだと思えば、

一生懸命それをやればいい。

 しかし、そんな表面的なことでは、本当の幸せは来ない、もっと

深い心を究めた方がいいと自分で感じたら、山に行けばいい。

 その両極端ではなくて、真ん中あたりがいいと、たまに土日は、

ボランティアをやって、他の日は坐禅をしようと思えば、それでも

いっこうに構わない。

 最初に『金剛経』の話でしたように

「これですべては解決する!」という道はないんである!

 ですから、あなたは、あなたに合った道を行くことが世の中の

幸せになるとこう思っています。

学生: そういったボランティアは、いっけん、世の中を幸せにし、

良い影響を与えているようですが、実際は、世の中に悪い結果に

なることもありますが、その場合はどうしますか?

老師: やめたらよい!(一同笑)

<平成29年1月13日 ブラウン大学宿泊坐禅会懇談会にて>

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