「救ってやろう」と思わない 一日一語133
<円覚寺境内・法堂跡にて>
横田南嶺老師が先日、居士林で行われたブラウン大学宿泊坐禅会での懇談会で
アメリカの大学生の質問に答えられたことをまとめてみました。
学生: 私は、他人の苦しみを感じる時、その苦しみを安らかにしたいと
いう気持ちになります。他人の苦しみを治すのは、自分の中に慈悲の心を
育てることが良いと教わりました。
しかし、苦しんでいる人を助けようとしても、その結果に到らず、
安らかになることにならないことの方が多いと感じています。
老師は、他人に苦しみがあるとお感じになる時にどうなさいますか?
その場合になったら、どうするのか?アドバイスをいただけませんか?
老師: あなたは、「他人の苦しみを感じて何かをしてあげたい。
その為には、慈悲の心を育てることが必要である」と言いましたね。
そうではなくて、他人の苦しみを見て何とかしてあげたいと思う心が
そのまま慈悲の心なのよ。その慈悲の心でいることだけなのよ。
私どもにできることは。
それでいて、けっこうな効果があるものなのよ。こないだも、東京のお寺の
坐禅会で『碧巌録』という漢文の難しい語録を提唱しているのだけれど、
「この提唱をして人を救ってやろう!」なんてかけらも思わない。(一同笑)
「こんな難しいもの読んでもわかるもんか」と思ってやっている。(一同笑)
しかし、こないだ、ある青年が私のところに来て、「私は老師の提唱を聴いて
救われた」と言うんだね。私は「えー!」と思ったね。
だから、普段、慈悲の心でいれば、救おうと思わなくても、相手は
「有り難い!」と思うんだね。
今日もあなた方を救ってやろうとは、これっぽっちも思っていない。(一同大笑)
思っているのは、早く8時半(懇談会終了予定時間)にならないかということだけだ。(一同大笑)
あと5分だ。(一同大笑)
<平成29年1月13日 ブラウン大学宿泊坐禅会懇談会にて>