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臨済宗大本山 円覚寺

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2016.05.24

「軌道修正」 一日一語105

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<ドクダミ>

 横田南嶺老師が今日の大攝心で提唱されたことをまとめてみました。

『臨済録』に「你(なんじ)解得すれば、即ち他人を軽蔑す。勝負の修羅、

人我の無明、地獄の業を長ず」という言葉があります。

 一所懸命に勉強することは尊いことですが、たくさん勉強をすると

かえって他人を軽蔑する人がいます。これが難しいところです。

 軽蔑はしてはいませんと言いながらも、一所懸命に学んでしまうと

自分はこんなに学んでいるんだ、あなたがたは知らないでしょうという

ものがどこかに残ってしまう。これが本当に難しい。

 何かをやると、どうしてもこんなにやったんだということがちらりと

覘いてしまう。それが覘いてしまうといくら、お説教をしても人には

伝わらなくなってしまいます。

 人にいくら伝えようとしても何も伝わらない場合もあれば、

何も伝えようとしていなくても、人に伝わっている場合もある。

 いくら学んでも、「こんなに学んだんだ!」では、「勝負の修羅」であります。

 いくら、専門道場で何年と修行をしても、どこかに「自分はこんなにやっているんだ!」

というものが残っていると、やはり、御檀家さんなどに法話をしても伝わらないのでは

ないでしょうか。

 「おれは、こんなにやっているんだ!」というようなことが無明です。

臨済禅師は、これが迷いの根本で地獄の業(ごう)を生ずると仰せになっています。

 普段から私たちは、常に軌道修正をしていかなければなりません。

何を求め修行をしているのか。何を目指して修行をしているのか。

常に軌道修正が必要であります。

 そうでなければ、せっかくの修行も勉強も地獄の業を作っているだけに

なりかねません。

「軌道修正」 一日一語105

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