「腹(肚)を据える」 一日一語106
<舞子アジサイ>
横田南嶺老師が今日の大攝心で提唱されたことをまとめてみました。
先日、東電会長の数土先生と話をしたという話をしましたが、
今の人は、腹(肚)が練れていない、腹(肚)を作らないといけない
と仰せになっていました。
もちろん、私たちは、こうして坐禅をして気海丹田に気力を込める
ことをしておりますが、もちろんこれも大事なことではあります。
しかし、数土先生が言われるには、これだけではだめで、もっと
古典を学ばなければならないと言われています。
数土先生は、NHKや東電の再建という難事業に取り組んで
いらっしゃいます。その先生の話というのは単なる、経営の話だけ
ではなく、中国の古典をほとんど読破していられ可と思われるような
内容でした。
もちろん、日本の様々な伝記や歴史もよく読んでおられる。特に
先生が強調をされたことは、今の人たちは、それが経営者であろうと
何であろうと、学(がく)が足りない。学ぶということが足りない。
たとえば、中国の古典をもっと読破すべきだと言われていました。
先生は、『論語』なんかは、ほぼ、暗唱をしているくらい読んでいる。
また、『史記』『三国志』『十八史略』『韓非子』などの中国四千年の書物を
読破すれば、今、こうして困難な局面に直面しているからといっても、
似たような例というのは、古典の中にいくらでもあると言われています。
さらに、それらをしっかり学んでおれば、動ずることはないのである。肚力と
いうのは単に腹(肚)に力を入れているだけではなくして、古典を深く
学べと。
先生は、また、激務をいていながらも、毎日3時間は本を読む、読書の時間に
あてているとおっしゃられていました。夜10時から1時までは、ただ、自分で
本を読む。
どうも私たち禅宗は、文字の中に求むべからずとか不立文字という言葉を
都合の良いように利用して、学ばない、無知蒙昧がまかり通っているように
思われます。
臨済禅師は、読んで読んで読み抜いた末に「無事」という心境に達した。
『臨済録』の中の言葉にありますように「腹熱し心忙がわしく、
奔波して道を訪う(気はあせり心は落ち着かず、諸方をかけ回って道を求めた)」
と実に赤裸々に表現されています。
あらゆる経典をあらゆる書物を読破してやるべきことをなして
夜も眠らず坐り抜いて、初めて安らかな「無事」という心境が得られたのです。
私たちは、もっと学ばなければならない。もっと、坐らなければならない。
もっと、求めなければならない。そうしなければ、本当の「無事」は得られない
のであります。