一日一語 64
<山門>
弘安四年の元寇の際には、日本兵も元の兵士も前線に駆り出された南宋の人たちも
大勢亡くなりました。南宋の人たちは(円覚寺の開山)仏光国師にしてみれば祖国の人たちです。
我が祖国が元に滅ぼされ、その人たちが敵兵となって日本に来襲してきたのです。
ですから仏光国師にとっては死者に敵も味方もなかったのでしょう。こういう
言葉を残しています。これは仏光国師の語録を集めた『仏光録』巻四に収められた
言葉です。
此軍及び他軍、戦死と溺死と、萬衆無帰の魂、唯願わくは速やかに救抜して、
皆苦海を超ゆることを得、法界了に差無く、怨親悉く平等ならんことを。
(こちらの国の人もあちらの国の人も、戦死した者も水に溺れた者も、すべて帰る
ところのない魂でsる。そういう人たちの御霊を速やかに救って、皆を苦しみの
海から引き上げてやりたい。仏法の世界には敵味方の違いはない。恨みや親しみに
関係なく、すべてが平等あることを願うのである。)
「帰るところのない魂」といったとき、仏光国師の頭にはおそらく南宋のことが
あったと思います。帰ろうにも帰る祖国はすでにない。その無念の思いをこの言葉に
表したのでしょう。そういう人たちの御霊を救ってあげたい。人間の命には敵も味方も
ありはしない。敵と味方に分かれるのは一時のことで、終わりは平等である。これが
仏教の空の思想です。こういう考えに立って、仏光国師は両軍の兵士を弔うために
円覚寺を開創したのです。
「怨親平等」というのはもともと仏法にある教えです。今の世界では恨みと恨みを
ぶつけ合うような争いが続いていますが、いくら争っても何もよいことは生まれない
でしょう。元寇の際には、壱岐対馬の住人が元の兵隊に虐殺されました。しかし、
戦が終われば敵味方なく平等に供養するというのが「怨親平等」という教えです。
{南嶺老師著 『禅の名僧に学ぶ生き方の知恵』(致知出版社)より}